憤怒の大切さ:自己組織化と心理社会的支援の視点から

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自己と世界の出あいにおける不一致に対して、内的現実主体(内我)が憤怒を感じることは、適切な自己や世界を自己組織化する上で重要な出来事です。

もし内我による憤怒や自己主張が、外的現実主体(外我)や周囲の人々、社会からの圧力によって抑圧、否定、否認、あるいは威嚇によって無力化されると、内我の能動的主体性が失われ、結果的に外我の働きが優位になります。さらに、内我との対話軸を欠く外我は、外的世界への適応を受動的に図る支配的なホロニカル主体(理)をますます取り込んでいきます。その結果、自己は内我の充足や充実を犠牲にしてでも外的世界に過剰に適応しようとする自己組織化を行います。これにより、自己は生き延びるために外界に対して絶えず身構え、警戒心を緩めることができず、他者の機嫌を伺いながら生きるようになります。

しかし、このような不自然な自己組織化(生き方)は、いずれ破綻を迎えることになります。外我の環境世界への過剰適応に対して、内我が限界を感じ、生きる意識や意欲を失っていきます。さらに、弱った内我を、外界の支配的なホロニカル主体(理)を内在化した外我が支配しようとするため、内我の逃げ場がなくなります。外的世界からの否定、否認、威嚇が、自らの内的世界に強烈な形で取り込まれていくのです。

この破綻は、精神疾患の発症、自死を含む自己破壊的な衝動や自傷・他害行為など、さまざまな形で現れる可能性があります。

憤怒することすら奪われた子どもや大人に対しては、安全かつ安心して憤怒を表出できる保護的な時空間の保障が必要です。ただし、そうした場の保障は、診察室、面接室、相談室、遊戯療法室など日常生活から切り離された場所だけとは限りません。むしろ日常生活において、これまで蓄積された憤怒が少しずつ表出できる場を徹底的に保障することが必要と考えられます。

憤怒の受け手の対応にもさまざまな形があります。憤怒を許容できない人、憤怒に戸惑う人、憤怒をなだめる人などです。また、その組み合わせも考えられます。いずれの場合でも重要なポイントがあります。憤怒することすら許されなかった子どもや大人が、日常生活の特定の人に対して憤怒を表出するようになった場合、憤怒する本人にとって、その相手に安全基地のような期待や理想を抱き始めている可能性があるということです。これは、適切なアタッチメントの再形成や愛着関係の修復の機会となる可能性があります。しかし、それは過去の不適切な人間関係の再現性の危険性を伴う作業ともなります。

憤怒の対象となった人は、過去の再現にならないように留意しながら、赤子の憤怒に対応するかのごとく、適切な自己の自己組織化を保証する重要な場となることが大切です。

診察室、面接室、相談室、遊戯療法室などで、このような安全基地ともいえる保護的な場の重要性を熟知している専門家は、日常生活で憤怒に対して適切に対応できる場づくりを積極的にサポートする姿勢が求められます。