
※ノンフィクションフィクションとは、幾つかの実際の事例を組み合わせて創作した事例のことです。
<はじめに>
河合隼雄は著書『影の現象学』において、「影」を統合していくためには、それを“名付ける”ことが重要であると述べています。
名付けるとは、単なる言語化ではありません。
それは、これまで自分の内側で得体の知れないまま自己違和的にうごめいていたものに輪郭を与え、我(現実主体)が、影に圧倒されたり、切り離したりすることなく、「関係を持つことのできる対象」とする営みといえます。
この視点は、ホロニカル・アプローチのABCモデルにおけるA点の外在化と相似的な作業といえます。このことを、ノンフィクションフィクションの事例として説明します。
タイトル:「また踏んでしまった地雷」
<登場人物>
・直人(中学2年生)
・母
・支援者(ホロニカル・アプローチを学びはじめて1年目)
<取り上げられた出来事>
「うるさいな!!」
その瞬間、直人の中で何かが弾けた。
母の何気ない一言だったはずなのに、身体が熱くなり、声が勝手に大きくなる。止めようと思っても止まらない。気づけば、物に当たり、ドアを強く閉めていた。その後にやってくるのは、重たい沈黙と、どうしようもない自己嫌悪だった。
<面接場面>
支援者:「そのときの感じ、少し言葉にするとどんな感じですか?」
直人:「…なんか、急に爆発する感じです。自分じゃないみたいな」
支援者:「その“爆発する感じ”に、名前をつけるとしたらどうでしょう」
直人:「名前…?」
少し考えて、直人はふっと笑った。
直人:「…地雷とか?」
支援者:「いいですね、どんな地雷ですか?」
直人:「なんか、ちっちゃいけど、ちょっと触れただけで爆発するやつ」
支援者:「なるほど」と言いながら支援者は、テーブルの上に10円玉を地雷に見立てて外在化します。そして、
支援者:「地雷が出てくるときは、どんなときが多いみたい?」
直人:「…お母さんが、イライラして何か言ってくるとき」
こんなごく簡単な一手間を加えることで、面接内容は大きく変化していきます。
<名付けることで起こる変化>
面接中、名付ける前の直人は、母親とのいさかいを思い出して、怒りそのものと一体化していました。つまり、ABCモデルでいうA点(自己違和的体験)に完全に巻き込まれていた状態です。しかし、「地雷」と名付けたことで、怒り=自分という同一化がほどけ、怒り=観察可能な対象へと変化しています。ABCモデルでいう、支援者と共に適切な共創的俯瞰ポジションとしての、自分を見ている自分(C点)が立ち上がってくるのです。
これはまさに、河合隼雄が述べる「影を名付ける」ことによって、影と関係を持ちうるようになる過程と重なります。
<影の統合とホロニカルな自己組織化>
河合がいう「影」とは、単に抑圧された否定的側面ではなく、“まだ自我によって十分に意味づけられていない領域”でもあります。それは、排除すべきものではなく、関係を取り直すことで、むしろ自己を豊かにしていく可能性を持っています。
ホロニカル・アプローチにおいても同様に、A点(苦・違和・混乱)、B点(統合・一致・ホロニカル体験)、C点(適切な観察主体)は、それぞれ切り離されたものではなく、相互に包摂し合う関係にあります。そのため、「地雷」という名付けは、A点の出来事をC点から捉え直す行為であり、その結果として、それまでは制御不能だった体験が意味を持つ現象へと変わり、自己組織化の契機へと転じていくことを可能にするのです。
<その後の直人>
数週間後。
直人:「この前、“地雷”を自分で踏みそうになったけど、踏みとどまることができました」
支援者:「どうなりましたか?」
直人:「地雷の性能が落ちてきた気がしました」
怒りがすべて消えたわけではありません。しかし、憤怒に直人が呑み込まれてしまう存在でもなくなっていました。
名付けることは、コントロールすることではありません。むしろ、関係を取り結ぶことです。わからないものに、人は得体の知れない恐怖を抱きやすくなります。しかし、名前を持った瞬間、それは“対話できる存在”になります。そしてその対話の中で、“こころ”は再び組織化されていきます。
もしかすると、あなたの中にも、まだ名前のついていない何かがいるかもしれません。
それに、少しユーモアを込めて名前をつけてみる。そこから、ホロニカルな変容は静かに始まっていくのです。
<参考文献>
河合隼雄(1987)『影の現象学』.講談社,p.264.