新たな生き方

 

AIで作成

自己と世界の出あいにおける不一致と一致直接体験を繰り返す中で、自己がより心地良く感じる方向、すなわち一瞬でも自己と世界の関係が一致する方向に向かって生きることが大切ではないでしょうか。

これは、自己が直観的に心地良いと感じる方向に、の意識を合わせていく生き方です。この生き方は、我の意識を中心として自己を制御対象とする生き方とは対照的です。言い換えれば、我が中心の生き方から自己が中心となる生き方への転換です。

しかし、このときの自己とは、世界と独立自存しているような自己ではありません。それこそが我です。自己とは、世界との不一致・一致を繰り返している場所的存在です。自己は、自己と世界のあらゆる不一致・一致を場所的自己自身に映し、自己内に取り込みます。それは、場所的自己が、一切合切の矛盾・対立を自己内に抱え込むことに他なりません。矛盾・対立は、自己にとって自己違和的な現象となり、苦となります。場所的自己は、自己内に取り込まれた矛盾・対立が少しでも和らぐ方向、すなわち、自ずと自己と世界が一致する方向に向かって、適切な自己を自己組織化しようとするのです。

場所的自己があらゆるものを自己の直接体験を通じて直観する中で、矛盾・対立が少しでも一致する方向が、自己にとって心地良い方向です。自己違和感に伴うさまざまな波長の乱れが、あたかも共鳴共振によって少しずつハーモニーを奏でるような方向に、直観的に生きる生き方です。

したがって、直観といっても自己が世界との出あいに関係なく、まったく出鱈目に生きることとは対極です。むしろ、自己と世界の出あいの微細で繊細な波長の調和や乱れを、予断なく、あるがままに実感し自覚する力が求められます。そのためには、我の意識をできるだけ無とし、直接体験を実感し、少しでも自己違和感が消える方向に向かって生きることです。

我の意識が強すぎるとうまくいきません。無心となる方向です。我を思わず忘れたところに生きるという生き方です。世界そのものとなって生きるような生き方です。

自己意識の発達段階でいえば、一瞬、第6段階に至るものの、多くの場合、基本的には第5段階の生き方です。ちなみに、我の意識が中心の生き方は第4段階です。また、第6段階は、もはや自己も世界の区別もない自由無碍の悟りの境地といえます。凡人では、この第6段階の維持は困難です。しかし、第5段階では、第4段階の既知のホロニカル主体(理)の枠を越えて、より生きやすい生き方のホロニカル主体(理)を発見・創造するたびに、その背景で、一瞬、第6段階の「それ(sore)」の作用が誰にも布置していると考えられます。

このような場所的自己の直観に基づいて生きる人が増える場所は、自ずとより多くの人の適切な自己と世界を局所的に創発することを可能にすると期待されるのです。