意識現象と物理現象の交差:思考実験

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思考実験を通じて、私たちの意識現象物理現象の関係性を探求してみましょう。まず、自分自身を含む世界のすべての出来事を、判断や断定を加えず、純粋な物理現象として捉え直してみます。ここで重要なのは、意識現象もという物理的存在が生み出す現象であるといった解釈を一切排除し、言葉による識別や判断といった先入観を持たずに、すべての現象をありのままに経験することです。​

しかし、私たちがどれほど意識を無にしようとしても、物理現象としての客観的世界は、結局のところ私たちの意識に立ち現れます。つまり、私たちは自らの意識を離れて客観的な物理現象の世界を知ることはできません。このことから、物理現象として映し出される世界も、同時に意識現象であると言えるのです。世界を物理現象と定義するか、意識現象と定義するかは、私たちの解釈の違いに過ぎません。しかし、そもそも私たちは意識現象を離れて定義することすらできないのです。ありのままの世界を、意識現象とするか、物理現象とするかは、私たちが世界をどのように定義するかの差異に他なりません。​

観察主体と観察対象が分かれる前の主客合一の世界が、観察主体と観察対象に分かれた途端、その組み合わせの差異の分だけ、多様な世界として立ち現れます。観察主体と観察対象の関係は固定的ではなく、私たちが何を見ようとするかによって、見えてくる世界が異なるのです。​同じ雲を眺めていても、ある人は無常を感じ。ある人は水や氷の粒をイメージし、ある人は動物の姿を想像するなど、人によってその捉え方がまったく異なるのです。​

物理現象や意識現象を感じ取るためには、それらを映し出す「」が必要です。​この「場」がなければ、私たちは物理現象も意識現象も経験することができません。ホロニカル心理学では、この現象を映し出す「場」を“こころ”と呼びます。“こころ”は、物理現象や意識現象を映し出し、そこから始まり、そこに帰還していく場所と考えられています。​哲学的には「絶対無」、仏教では「空(くう)」と呼ばれる概念に相当すると考えられます。​

“こころ”はフィールドのような器に例えられますが、言葉で完全に表現することは難しいものです。​しかし、この映し出す場所、すべてを感じ取る場所は、誰もが感じているものであり、古来よりさまざまな言い方で表現されてきたと考えられます。​