ホロニカル主体(理)

(注:以下は、ホロニカルな“こころ”(2026)の理論編,第4章,3 主な用語,3.3ホロニカル主体(理)の改訂案です。)

3.3 ホロニカル主体(理)
ホロニカル主体(理)とは、出来事を多層多次元に生成すると同時に識別し、それらを関係づけ、一定のまとまりへと組織化する「理」の働きを指します。それは、個人の自己意識によってつくられたものだけではなく、自己意識に先立ち、また個人を超えて、宇宙、自然、生命、身体、社会、文化、歴史などの多様な層・次元において働いている、自己超越的な生成識別の「理」です。
ここでいう「生成識別」とは、すでに成立している出来事を後から分類することだけを意味しません。出来事が立ち顕れることと、その出来事が他の出来事から区別され、一定の関係やまとまりをもつこととは、切り離すことができません。すなわち、出来事は生成されると同時に識別され、識別されることによって一定の出来事として生成されます。ホロニカル主体(理)は、この生成と識別とを一体として働かせる「理」を表しています。
ホロニカル主体(理)には、言語に象徴される歴史的・社会文化的な識別基準だけでなく、現代物理学が数学的な式によって明らかにしつつある、物質、エネルギー、時空、量子場、宇宙などの出来事の生成原理も含まれます。現代物理学の数式は、宇宙の外側から自然に与えられた命令を表すのではなく、自然現象のうちに認められる関係、変化、対称性、相互作用などの生成原理を、人間が数学的に記述しようとするものです。ホロニカル心理学では、こうした自然界に内在する生成原理も、出来事を生成し、識別し、関係づける「理」の一つの層として捉えます。
ただし、これは、物理学の法則が、そのまま観念や知識として現実主体(我)の中に取り込まれるという意味ではありません。自然界に内在する生成の「理」は、宇宙や地球の形成、生命の進化、身体の形成、神経系の発達、知覚や感情の成立などを通して、現実主体(我)の身体的・生命的な構造そのものに組み込まれていきます。例えば、人が物の形、動き、距離、重さ、時間的な変化などを識別できることの背景には、個人が言葉を学ぶ以前から、身体と自然環境との相互作用を通して形成されてきた生成識別の仕組みがあります。
この意味で、自然に内在する生成の「理」は、身体、生命、感覚、知覚、情動などの形成を介して、現実主体(我)のうちに内在化されます。これに対して、社会や文化に内在する生成識別基準は、養育者との関係、言語の習得、教育、慣習、制度、物語、宗教、思想などを通して、現実主体(我)のうちに内在化されます。したがって、ホロニカル主体(理)の内在化には、自然・生命的な形成過程と、歴史的・社会文化的な形成過程とが、多層多次元に重なっています。
社会構成主義が明らかにしてきたように、人が自己、他者、社会、世界をどのように認識し、意味づけ、区別するかは、個人が属する社会で共有されている言語や言説によって大きく方向づけられます。例えば、正常と異常、健康と病気、大人と子ども、男性と女性、被害と加害などの区別も、自然に最初から固定されているのではなく、歴史的・社会文化的な文脈の中で形成され、言語によって分節されています。
したがって、現実主体(我)が自明なものとして用いている識別基準の多くは、個人だけが独自につくり出したものではありません。それらは、家族、地域、社会、文化、時代などに内在する生成識別基準が、言語や関係を介して現実主体(我)のうちに内在化されたものです。ただし、社会構成主義が扱う言語的・社会文化的な識別基準は、ホロニカル主体(理)のすべてではなく、その歴史的・社会文化的な層における顕れとして位置づけられます。
意識の層では、フロイトのいう超自我を、ホロニカル主体(理)の一つの形態として位置づけることができます。超自我は、養育者や社会から与えられた禁止、命令、理想、道徳、価値観などが現実主体(我)のうちに内在化され、その思考、感情、欲求、行為を評価し、抑制し、方向づける働きです。それは、歴史的・社会文化的な生成識別基準が、個人の心的構造として形成されたものと理解できます。
しかし、ホロニカル主体(理)は、フロイトの超自我に限定されません。超自我は、主に養育関係や社会規範の内在化を説明する概念であり、ホロニカル主体(理)の歴史的・社会文化的な一形態に相当します。ホロニカル主体(理)は、それよりも広く、自然・生命的な形成原理、無意識的・元型的な形成原理、言語的・社会文化的な識別基準、さらに個人の生活史の中で形成される価値観や信念などを、多層多次元に包摂する概念です。
またユングのいう元型は、個人が生まれた後に、言語や教育によって獲得した規範だけでは説明できない、集合的無意識に属する基底的な形式を指しています。元型は、あらかじめ特定の意味やイメージをもった固定的な内容ではなく、体験、知覚、感情、イメージ、行動などを一定の方向へ形成し、組織化する潜在的な形式です。
この意味で元型は、個人の自己意識や特定の社会文化に先立って、精神現象の生成と識別を方向づける、深層的なホロニカル主体(理)の一形態として位置づけることができます。ただし、元型が具体的なイメージや物語として立ち顕れるときには、その時代や社会の言語、宗教、文化などの影響を受けます。したがって、元型的な生成の形式と、社会文化的に形成された表象内容とは、区別されながらも相互に作用していると考えられます。
さらに、ユング晩年のプシコイド概念は、精神現象と物理現象とが明確に分かれる以前の、両者にまたがる根源的な作用を示唆しています。プシコイドは、単に精神的なものと物理的なものとを混合した実体ではありません。それは、精神と物質、主観と客観という区別が成立する以前、あるいはその区別によっては十分に捉えきれない次元において働く形成原理を仮定する概念です。
この観点からすれば、プシコイドは、精神現象を形成する元型的な「理」と、物理現象や生命現象を形成する自然の「理」とが、互いに異なるものとして立ち顕れながらも、その根底では完全に分離していない可能性を示しています。ホロニカル心理学では、このプシコイド的な次元も、物理現象から精神現象にわたって出来事を生成・識別する、ホロニカル主体(理)の根源的な層として包摂します。
したがって、フロイトの超自我、ユングの元型やプシコイド、社会構成主義が扱う言語的・社会文化的な識別基準、現代物理学が数学的に記述する宇宙や自然の生成原理は、すべて同じものではありません。それぞれは、異なる層や次元を対象とし、識別方法も異なる理論的背景によって明らかにされたものです。ホロニカル主体(理)は、それらを安易に同一視するのではなく、宇宙・物理、生命・身体、無意識、言語、社会・文化、自己意識など、それぞれ異なる層・次元において出来事を生成し、識別し、組織化する「理」の多様な顕れとして、包摂的に位置づける概念です。
こうした多層多次元の生成識別基準は、自然、身体、他者、社会、文化との関係を通して、現実主体(我)のうちに内在化されます。自然の「理」は、宇宙・生命の進化や身体の形成を通して、身体的・生命的な構造として内在化されます。元型的な「理」は、知覚、感情、イメージ、行動などを形成する無意識的な構造として働きます。社会文化的な「理」は、言語、養育、教育、制度、慣習などを通して、意味づけや価値判断の基準として内在化されます。そして個人は、それらの多層多次元の「理」を、自らの生活史における出あいや経験を通して独自に組み合わせ、現実主体(我)を形成していきます。
ホロニカル主体(理)は、「理」という名称で表されますが、自己にとっては、知的・論理的な側面だけを意味するものではありません。その働きには、「理」と「情」とが不可分に含まれています。「理」は、自然法則、生命の秩序、社会規範、生活規範、文化的価値、倫理、思想、信条、信念などの生成識別基準として表れます。それと同時に、その「理」は、厳格さ、批判性、冷静さ、客観性、畏れ、慈悲深さ、温かさ、包容性など、さまざまな情動的な色合いを伴います。
例えば、同じ社会規範であっても、それが懲罰的・排他的・自己処罰的な情を伴って働く場合もあれば、慈悲的・共感的・創造的な情を伴って働く場合もあります。フロイトの超自我が厳格な批判や罪悪感として現れることがあるのも、社会的な「理」が、特定の「情」を帯びて現実主体(我)のうちに内在化されているためです。「理」と「情」とが一体となって働くことで、現実主体(我)が、自己、他者、社会、世界をどのように識別し、意味づけ、評価し、関係づけるかが方向づけられます。
ホロニカル主体(理)は、いったん形成されれば変化しない固定的な構造ではありません。自己意識の発達に伴って、現実主体(我)は、それまで自明のものとして受け入れてきた家族的・社会的・文化的な規範、価値観、信念などを、自らの識別基準として意識し、俯瞰できるようになります。その過程において、従来の識別基準は、そのまま否定されたり消滅したりするのではなく、いったん脱統合され、相対化され、異なる識別基準との関係の中で再構成されていきます。
ここでいう脱統合とは、歴史や文化から完全に自由になることではありません。人は、身体、言語、歴史、文化などから離れて存在することはできないからです。脱統合とは、自らに内在化されている識別基準を唯一絶対のものとして用いるのではなく、それが、どのような自然的、身体的、歴史的、社会文化的条件のもとで形成されたのかを俯瞰し、別の識別基準との関係の中で組み替えていくことを意味します。
こうした脱統合と再統合が進むと、現実主体(我)は、異なる「理」の一方を正しいもの、他方を誤ったものとして直ちに排除するのではなく、それぞれの識別基準が成立する層・次元と、それらの相互関係を捉えられるようになります。そして、既知の社会規範や価値観に従うだけではなく、新たな状況との出あいの中で、より適切な生成識別基準を創発することが可能になります。
自己と世界との出あいに伴う不一致・一致の直接体験は、一瞬・一瞬、生成と消滅を繰り返す瞬間的・断片的な出来事です。しかし、それぞれの出来事は孤立しているのではありません。身体感覚、感情、記憶、他者との関係、社会文化的文脈、自然環境などと多層多次元に結びつきながら、縁起的包摂関係を形成しています。
自己と世界との出あいに不一致が生じると、それまでの生成識別基準では出来事を十分に関係づけ、統合できなくなります。その不一致は、既存のホロニカル主体(理)を揺さぶり、脱統合を生じさせる契機となります。そして、自己と世界との関係は、新たな一致を志向しながら、既存のまとまりを組み替え、新たな関係を創発し、自発自展的な自己組織化を進めていきます。
この自己組織化を方向づける生成識別の「理」が、ホロニカル主体(理)です。ただし、ホロニカル主体(理)が、自己や世界の外側から、あらかじめ定められた完成形を命令するわけではありません。それは、出来事そのものに内在し、不一致と一致、分化と統合、解体と創発を繰り返しながら、そのつど新しい秩序と関係を生成していく働きです。
したがって、自己が自らの意志だけですべてを統合するのではありません。自然、身体、無意識、他者、社会、文化を含む自己と世界との関係そのものが、ホロニカル主体(理)の働きを通して、より包括的な縁起的包摂関係へと自己組織化していくと考えます。
ホロニカル主体(理)の脱統合と再統合がさらに進むと、現実主体(我)は、歴史的・社会文化的に限定された個別の識別基準を超えて、出来事の根底に働く多様化と統合化の作用を実感・自覚するようになります。ホロニカル心理学では、一から多へと分化し、多様な出来事を生成する作用を「エス」と呼び、多として生成された出来事を関係づけ、一へと統合する作用を「IT」と呼びます。
エスとITは、相互に排除し合う二つの独立した作用ではありません。多様化がなければ統合される多は生じず、統合化がなければ多様な出来事は互いに無関係なままになります。エスとITは、互いに相矛盾しながらも切り離すことができず、相矛盾的自己同一として同時に働いています。
自己意識の発達に伴い、歴史的・社会文化的に限定された識別基準の脱統合と再統合が進むと、ホロニカル主体(理)は、究極的には、エスとITが相矛盾的自己同一として働いている「それ」の実感・自覚へと開かれていきます。
「それ」は、観察主体によって対象化できる何らかの実体ではありません。それは、精神と物質、主観と客観、自己と世界、部分と全体などが、互いに異なるものとして識別されながらも、同時に相互包摂的な一つの出来事として働いていることの、言葉以前の直接的な実感・自覚です。
この意味で「それ」は、ユングのプシコイドが示唆した、精神現象と物理現象との境界を超える根源的な作用を包摂します。しかし、「それ」はプシコイドと同一ではありません。プシコイドが、精神と物質の区別に先立つ元型の根源的側面を説明するための概念であるのに対して、「それ」は、物理現象から精神現象、さらに社会文化的現象に至る一切の出来事が、エスとITとの相矛盾的自己同一の作用として生成・消滅していることの実感・自覚を表しています。
ホロニカル主体(理)は、「それ」そのものではありません。それは、自然、生命、無意識、言語、社会、文化などの多層多次元において形成され、現実主体(我)のうちに内在化された生成識別基準です。しかし、その生成識別基準が、自己意識の発達に伴って脱統合と再統合を重ねることにより、最終的には、あらゆる「理」の根底においてエスとITが相矛盾的自己同一として働く「それ」の実感・自覚へと至る可能性が開かれます。
ホロニカル主体(理)は、自己の発達段階および心的構造の段階に応じて、そのあり方を発達的に変容させます。それは、未分化な混沌から始まり、身体的・生命的な原初のまとまり、幻想的・元型的な意味づけ、既知の歴史的・社会文化的な識別基準、既存の基準を脱統合し、新たな関係や基準を生成する創発的な働きへと展開し、究極的には「それ」の実感・自覚へと開かれていきます(資料4・5)。

ホロニカル主体(理)の発達段階
① 混沌
② 原初のホロニカル主体
③ 幻想的ホロニカル主体
④ 既知のホロニカル主体
⑤ 創発的ホロニカル主体
⑥ 「それ」