
直接体験とは、意識に明確に把握された内容のみを指すのではありません。むしろそれは、いまだ十分には意識化されていない身体感覚、情動、志向性、関係性の含みを内包した、全体的な出来事として理解されるべきものです。したがって、直接体験を「知的に意識された内容」と同一視することは、経験の生成的構造を捨象する理解であるといえます。
近代西洋思想は、直接体験を成立させる中心として精神や自我を措定し、そこから主観と客観とを区別する認識論的枠組みを発展させてきました。この枠組みは、経験の分析や対象化において大きな成果をもたらした一方で、主観と客観が分化する以前の生成的次元を捉えにくくする側面も有していました。これに対して、東洋思想、とりわけ仏教思想や西田哲学においては、主観的中心そのものを実体的なものとして固定せず、むしろそれを「無」ないし自己限定的な場として捉えることで、経験が立ち顕れる根源的過程に接近しようとする志向が認められます。
ホロニカル心理学の立場からいえば、直接体験とは、主観と客観、自己と世界が分節化され対立する瞬間と即統合される全過程のことです。そこでは、自己と世界との出あいが未分化なかたちで成立しており、その場から主観的体験、客観的認識、意味づけ、行為の方向性が相互に関連しながら立ち上がってきます。したがって、直接体験とは、単に内面に私的に与えられる受動的なものではなく、自己と世界との関係そのものが能動的に生成される根源的な出来事性として捉えられる必要があります。