
自己を「我」という固定した存在として捉える見方をいったん手放し、自己への探究を深めていくと、その底は閉じた内面ではなく、むしろ無限の広がりへと開かれた場として立ち顕れてきます。
探究を深めれば深めるほど、「自己の底」は内面という枠組みを超え、自己と世界とを分けていた境界そのものが次第に薄れていきます。そして、自己と世界とは本来切り離されたものではなく、一つの根源的な場の働きのなかで同時に立ち顕れていることを、体験的に実感・自覚するようになります。
この「自己の底」は、内でも外でもなく、上でも下でもありません。それは、あらゆる存在が一瞬・一瞬立ち顕れ、再び還帰していく根源的な働きであり、ホロニカル心理学では、哲学でいう絶対無、仏教でいう空(くう)に相当する“こころ”の働きとして理解します。
この根源的な働きは、善悪、主客、自己と他者、光と影など、あらゆる対立以前にある働きです。自己も他者も世界も、この働きのなかで相互に関係し合いながら、一瞬・一瞬、新たな出来事として立ち顕れ、再び還帰していきます。
したがって、自己の究極の底とは、自己だけの内面ではありません。それは、自己と世界との境界が溶け合い、自己と世界が同時に生成され続ける無境界の働きそのものなのです。
東洋思想は、この無境界の働きを、「我を忘れる」修行や瞑想を通して体験的に探究してきました。一方、近代西洋思想には、自我を認識の中心に据え、無意識を意識化する方向へと発展してきた側面が見られます。
ホロニカル心理学では、この違いは、自己と世界を分けて理解しようとする西洋の立場と、自己と世界を一つの“こころ”の働きとして捉えようとする東洋の立場との違いを反映していると考えます。