「わからなさ」を抱える力

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私たちは、わからないことを目の前にすると、不安になったり動揺したりします。むしろ、何らかの形で「わかる」と感じられる方が安心できるものです。

ここでいう「わかる」とは、自分がこれまで培ってきた価値観や経験、理解の枠組みの中で説明できることを意味します。また、「それはおかしい」と判断できることも、ある意味では自分の枠組みの中で理解できている状態といえるでしょう。

問題となるのは、理解することも批判することもできず、ただ戸惑いだけが残るときです。しかし、そのようなときであっても、

「何かわからないけれど、ここには何か大切なものがある気がする」という直観が働くことがあります。ホロニカル心理学の立場から見ると、その直観は、現在の自己の理解の枠組みを超えた何かが立ち顕れようとしている可能性を感じ取っている働きであると考えられます。

自己と世界との出あいの中で、これまでの理解では捉えきれない出来事や現象に触れたとき、私たちはこうした「わからなさ」を体験します。だからこそ、この「わからなさ」は大切なのです。重要なのは、わからないことを無視したり、拙速に結論づけたりすることではありません。わからないことを、わからないまま抱えておく力です。

もちろん、それは放置することとは異なります。「なぜかわからないが、何かがある」という感覚を大切にしながら、安易な解釈や評価を加えず、そのまま見守り続けるのです。

すると、あるときふと、「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちる瞬間が訪れることがあります。そのとき初めて受け入れてもよいですし、あるいは批判的に吟味してもよいのです。しかし、その時が来るまでは、わからないことを無理にわかったことにしないことが大切です。

ホロニカル心理学では、このような姿勢を、自己と世界との出あいの中で生じる現象を、解釈や評価によって早々に閉じることなく見守る「自由無礙の俯瞰」の働きとして捉えます。自己意識の深まりや変容は、多くの場合、「わかったこと」の中から生まれるのではなく、「わからなさ」を丁寧に抱え続ける過程の中から立ち顕れてくるのではないでしょうか。