専門用語は理解への橋か、それとも壁か

AIで作成

心理社会的支援の現場にいると、ときどき不思議な感覚になることがあります。

私たちは人を理解しようとして、「トラウマ」「発達障害」「愛着障害」などの専門用語を使います。本来それらは、人の苦しみや体験をより深く理解するために生まれた言葉です。けれども、時としてその言葉を手に入れた瞬間に、理解したような気持ちになってしまうことがあります。

「ああ、それはトラウマですね。」
「発達障害だからそうなるんですね。」

そう言った途端、目の前にいるその人の物語が見えなくなってしまうことがあります。もちろん、名付けること自体は大切です。名前を与えることで、捉えにくかった体験を整理し、他者と共有しやすくなることがあります。未知のものに名前を与えることは、理解への大切な一歩です。しかし、名付けることは理解の終点ではなく、出発点なのだと思うのです。

「トラウマ」という言葉の向こうには、その人だけの傷つきがあります。何がつらかったのか。何を失ったのか。何を守ろうとしてきたのか。どのような関係の中で生き延びてきたのか。そうした一つひとつの問いは、専門用語だけでは語り尽くすことができません。

ホロニカル心理学では、その人の内面だけでなく、他者との関係や生活環境、社会のあり方、さらには理解しようとする支援者との関係も含め、その人が生きる場から理解を深めようとします。専門用語は、その全体へ近づくための入り口にすぎません。だからこそ、支援において本当に大切なのは、専門用語を知っていること以上に、その言葉の意味を当事者と共に問い続けることなのではないでしょうか。

「あなたにとって、それはどんな体験でしたか。」
「その言葉は、あなたにとって何を意味していますか。」

そんな問いを重ねながら、一緒に意味を探していく。その営みの中で、専門用語は単なるラベルではなくなります。

私は、生きた専門用語と死んだ専門用語があるように思います。生きた専門用語とは、人と人との対話を開く言葉です。一方で、死んだ専門用語とは、人を分類し、理解したつもりにさせてしまう言葉です。同じ言葉であっても、その使われ方によってまったく違うものになるのです。

心理社会的支援では、必要な知識や具体的な助けを届けながら、その人と共に体験の意味や、少しでも生きやすくなる道を探究することが大切なのだと思います。対話とは、結論によって終わるものではなく、新たな理解へと開かれ続ける営みです。

だから私は、専門用語に出会うたびに、その言葉の奥にいる「一人の人」に立ち返りたいと思うのです。そこから、対話が始まるのだと思うからです。