※本作は、ホロニカル心理学の理論的視点と、虐待・トラウマ支援に関する学術的知見、臨床経験を背景にして創作したノンフィクションフィクションです。特定の事例を再現したものではありません。人物の会話や内面の描写もすべて創作です。
<登場人物>
・楓子:小学校5年生。女子。
・実母:28歳。双極性障害と診断され、在宅療養中。
・養父:楓子が5歳のときに実母と結婚。
・実父:楓子が2歳のとき、実母と離婚。現在、音信不通。
・A:児童相談所の児童福祉司(40歳代男性)。

<舞台>
人口100万人ほどの市にある県の児童相談所の一時保護所。
<一時保護所で、「謝るために帰りたい」と語る楓子>
「早く、おうちに帰りたい」
楓子は、そこで一度、向かいにいるAの顔を見て、再び視線を下に落とした。
「お父さんやお母さんが怒ったのは、楓子が約束を守らなかったから。お父さんやお母さんに、早く謝りたい」
言い終えると、頭を下げた。小学5年生の女の子が、面接室の机に向かって、きちんと頭を下げていた。
Aは返事をしなかった。
いや、できなかったというほうが近い。「帰りたいんだね」と言えばよかった。いつもなら、そう返していた。けれども今日は、その言葉が喉のあたりに引っかかって出てこなかった。
机の下で、楓子の足があまりに揃いすぎていたからだ。その姿が、Aにはひどく萎縮しているように見えた。両手は膝の上で固く握り締められており、頭を上げたあとも、口だけが、何かに怯えるようにして謝り続けているようだった。
帰りたいと言っている。でも、帰るのが怖いのではないか。
だが、その二つを勝手に入れ替えていいのか。帰りたいと言った子どもに、君の本当の気持ちは違うはずだ、と断定するのもおかしい。
「楓子は……」とAが言いかけると、楓子は機先を制するように再び言った。
「ちゃんと謝るから」
Aが名前を呼んだだけで、あたかもパブロフの犬の条件反射のように返事が来た。そう感じた自分の比喩に、Aは少しひっかかった。楓子が何を受け取ってそう答えたのかは、まだ何も聞けていなかった。
ここは人口100万人ほどの中核都市にある県の児童相談所。Aは40歳代の児童福祉司で、この面接室を何年も使っていた。壁の時計が遅れれば直したし、椅子の脚がぐらつけば取り替えてもらった。部屋の具合なら、たいていわかる。しかし、目の前の楓子の気持ちに対しては、わかると思った瞬間に、再びわからなくなるような困難さを味わっていた。
楓子の一時保護は、これが初めてではなかった。
近隣から通報があり、警察が来る。養父から母親への激しい暴力。楓子への理不尽な体罰が明るみに出る。しかし、そのたびに、児童相談所からの、体罰が虐待に当たるという注意喚起と、体罰に頼らない躾の指導に対して、保護者はいつも体罰による躾を否認することなく、反省の態度を見せ、あたかも楓子のように、「もう殴らないので、早く、子どもを返してほしい」と言ってきた。
そして、そのたびに関係機関が集まって情報を共有し、楓子を見守る体制を整え、楓子は家へ帰っていた。
しかし、それではどうも抜本的な変化に至らず、今回もまた保護されたのだった。
記録では、それぞれが別の日付の出来事だったが、いったい、楓子には、この繰り返しはどのような家庭生活として体験されていたのか。どうもその実態は、記録や情 報収集だけでは、あたかもベールの向こうの世界のように見えてこなかった。
「怒られるようなことをした楓子が悪い子なの」と、楓子は、体罰を振るわせた原因は自分にあるという態度を崩さなかった。
今度は頭を下げず、念を押すように言った。
Aには、楓子自身が、自分のしたことが養父を怒らせたと思って反省しているなら、帰したほうがいいのかもしれない、との考えも一瞬よぎった。しかし、これまでの経緯からして、どうしても腑に落ちず、その考えを伝えるのをやめた。何がいけなかったのかと聞いても、楓子は具体的な出来事をまったく語らなかった。
語らないのか、語れないのか。質問が伝わっていないのか。それもわからなかった。
「帰りたいって言ったことは、ちゃんと聞いたよ」
「じゃあ、帰れる?」
「まだわからない」
机の上の記録用紙には、「今後の方針」を記載する欄があった。まだ何も書かれていない。Aは、その白さをひどく無責任にも感じた。
<本人の意向>
「本人の意向は、家庭復帰ですね」
楓子の一時保護後の処遇を決める会議では、楓子の「早くおうちに帰りたい」という書類に書かれた本人意向欄の言葉は、あたかも、よく整った、しっかりとした、楓子の迷いのない一貫した意見表明のような一行になった。
「帰りたいと言っているんでしょう。子どもの意見を尊重するなら、帰す方向で検討すべきではありませんか」
発言した職員は、書類から顔を上げた。
「保護が長くなれば、それ自体が子どもの負担になります。学校も、家にある物も、親との普段の暮らしも、ここにはありません」
Aも、住み慣れた家庭生活から、両親以外の誰にも別れを告げることなく、別世界(養護施設等)へ移って暮らすことは、楓子にとって、見慣れたおもちゃ、部屋、道具、友人、知人、先生などを一気に喪失してしまうことを意味し、それだけでも楓子の“こころ”に傷を残すことを知らないわけではなかった。しかし、一時保護所で、 ほかの子どもが家の話をするときの、みるみる生気を失っていく楓子の横顔が、会議中、なぜか、ふと思い出された。
「帰りたいという気持ちは、大切にしたいです。ただ、家で安全に暮らせるかどうかまで、楓子に決めさせてよいのでしょうか」
「決めさせると言っているのではありません。聴いた意見が結局いつも大人の判断で退けられるなら、聴かれた子はどう思いますか」
「子どもの意見表明を尊重すべきではないですか」
子どもの意見表明を誰よりも尊重したいと思っているAは、そのいかにも正論を前提とした問いには、にわかには答えられなかった。子どもの意見とは、子どもの本当の気持ちとは……そんなに簡単に語ることのできないものだと、改めて気づいたゆえの無言でもあった。
「では、帰して、また暴力が起きたら?」
別の職員が、あたかも家に帰すことを危惧する人たちの気持ちに押されるようにして、強い口調で初めて発言した。
「それを言い出したら、危険がゼロになるまで帰せません」
「ゼロでなければ帰せないという話ではなく、繰り返しているという話です」
机のこちらと向こうで、同じ「子どものため」を掲げながら、家に帰すか帰さないかという、楓子にとって人生の大きな分かれ目になる意見がぶつかり、激しいバトルが展開された。
想像していた以上の、所内では久しぶりのバトルに、Aが思わず身体の緊張を感じた瞬間、一時保護の直後、机の下で萎縮するように両足を揃え、膝の上で両手を固く握り締め、何かに怯えるようにして謝り続けながら、ひたすら「すみません」と執拗に語った楓子の姿が浮かんだ。この何ともいえない感覚。あたかもバトル中のAの身体と、「すみません」というときの楓子の身体が、ときを離れてもあたかも同期的に共鳴したかのようだった。
もちろん、自分の緊張が楓子の体験と同じだということではない。それでも、あのときの楓子が何に怯え、緊張していたのかを、考えずにはいられなかった。
学校からの情報も共有された。
「嘘が多い」「何を言っても入っていかない」
年齢に不釣り合いな性的な言動が問題になり、友達から距離を置かれているという報告もあった。
「学校も、どう関わればよいのかわからず困っているようです」
「だからといって、本人の言葉を全部、信用できないものとして扱うのは違いますよね」
「全部とは言っていません」と、Aは、それだけは撥ねのけるように言い放った。
会議では、それぞれの信念が披露され、そのたびに、誰かが否定した。
しかし、この重要な会議に、楓子は当然のこととして不在だった。
Aは、決まったことをあとで楓子に伝えるだけでよいのかと思った。といって、会議の席に座らせれば済むことでもない。誰に、どんな形で、何をどのように伝えたいのかなど、楓子の希望をほとんど聞き取れていなかったし、こちらの思いについても伝えておらず、まだほとんど楓子とは今後のことについては、何も話しあっていなかった。
Aは、用紙の「本人の意向」という欄に自ら記載した「早く家に帰りたい」を見た。そこに書かれた一行を消すつもりはなかった。しかし、その一行の外にも、楓子はいるように思われた。
<楓子の母親>
母親は28歳だった。双極性障害と診断されていて、在宅で療養していた。
楓子が2歳のときに実父と離婚し、その後、実父とは音信が途絶えていた。いまの夫と再婚したのは、楓子が5歳のときだった。
一時保護中の楓子の処遇を決めていくための保護者面接が母親のみの出席で児童相談所の面接室で実施された。養父は、一時保護そのものに激怒し、毎日のようにAに電話をかけ、「早く楓子を返せ」と威圧的な罵声を浴びせたが、そのたびに児童相談所での面接による話し合いを提案しても、徹底して応じようとはしなかった。
「楓子は、家に帰りたいと言ってるんですよね」
母親は、自分の膝に置いた鞄を、固く握った両手で必死に押さえていた。
「帰りたいと言っています」
「じゃあ、どうして帰せないんですか」
その問いを発する声には、怒りと、頼みと、先を聞くことへの恐れがあった。
「これまでも同じことが繰り返されています。楓子さんが安全で安心できる生活の条件を、もう一度考え直す必要があるのではないでしょうか」
「条件、条件って……。私が病気だからですか」
「診断名だけで、子育てができるかどうかを判断しているわけではありません」
Aは、母親が生活への不安があることも、ときどき感情を爆発させ、ときには体罰に至る夫への恐怖を抱き、その対応に苦慮していることも知っていたし、相談支援の必要性も知っていた。そして母親の抱えている問題にも、その都度、助言指導したり、母親に注意して欲しい目標についても文書にしたりしてわかりやすく指導しているつもりだった。しかし、このようなやり方では、まったくこれまでと同じだった。そして、明らかに、これまでと同じ対応では、望ましい変化を望むことはできなかった。しかし、ではどうしたらいいのか、Aには、一切、先が見えなかった。
「私だって、ちゃんとしたいんです。まるで、ちゃんとしたいと思ってないみたいに、話さないでください」
母親はAの対応にイライラしながら答え、そうした母親にAも頷いた。母親は、その頷きを見つめた。
「わかるんですか」
母親はAの態度にさらに苛立った。
「全部わかったとは、言えません」
「じゃあ、わかったみたいに頷かないで」
Aは身動きできなくなり、手元のペンを置いた。
面接が終わったあとも、母親の言葉が残った。
<「うざい」と言いながら袖を引く楓子>
家庭復帰を認めないまま、その後の処遇をなかなか明言しないAに対して、楓子は、しばしば「うざい」と言い出すようになっていた。「あっちへ行け」とすら言った。 しかし、楓子に言われるまま席を立とうとすると、今度は、Aの袖を引いた。
「お父さん(養父)のことだけど」
Aが面接で、父親のことに触れようとするたびに、楓子はその話題を早く切り上げようとするかのようにして、いつも次の台詞をオウムのように繰り返した。
「お父さんは優しいよ」「楓子が悪いことをしたときは、いつもちゃんと叱ってくれるよ」
誰も、優しいかどうかとか、叱責するかどうかなど聞いていなかった。
母親の「わかったみたいに頷かないで」と、楓子の「お父さんは優しいよ」が、なぜか、雲をつかむようで実態がつかめず、何も手応えのないままAの中に残った。そう、もっと父(養父)と母親と楓子の関係の実態がつかめれば、あのあまりに不自然な言い方と何か結びつく手がかりが得られる気もした。けれども、結びつけたいのは、あくまで自分だった。このテーマに触れるためにも、まずは楓子と、もっと親密で信頼できる関係をつくるしかないと覚悟した。ただし、何でも話してもらうことを目標にしてしまえば、また自分の聞きたいことへ楓子を向かわせてしまう。話しても話さなくても、そのことだけで関係を失わずに済むようにしたかった。自分だけが秘密を預かる関係にしてはならないとも思った。必要な情報を誰と共有するのかは、楓子にも説明しなければならなかった。
<一時保護所での楓子>
一時保護所の夜、楓子は何度も叫んでは目を覚ました。
明かりを消したがらない夜があった。夜尿のあった朝もあった。職員が寝具を片づけようとすると、楓子は、手伝っていいと言われる前から立ち上がった。
「すみません」
「大丈夫。着替えを持ってこようか」
「すみません」
職員の夜間の記録に頻繁に出てくる「すみません」という楓子の口癖も、とても気になった。一見、いい子に見える。でも、何か不自然に感じた。
児童心理司は、検査の結果を前に、Aに言った。
気になるところは、確かにたくさんあります。でも、心理検査だけで被害の有無まで決めることはできません。ただ、自己懲罰的な傾向が強く、安全感・安心感に乏しい感じです」
<徹底的な関わり>
Aは楓子と、毎日、少しでも会う時間をつくった。そうした頻繁な面会に対して、周囲の目は決して好意的とは限らない。「やりすぎではないか」「他の職員との差異が際立ちすぎて他の職員が困る」など、思わぬ反応もあった。
しかし、公平性とは、何もすべて均等に対応することではない。子どものサポートの必要性に応じて対応すべきだという考えが、Aには、これまでの支援の中で経験法則としてあった。その見極めこそ、専門性であるという確信もあった。
児童相談所は行政機関でもある。専門職と行政事務の経験を重ねてきた職員とでは、公平性や支援のあり方を巡って、異文化ともいえるほどの差異が生じることは珍しくなかった。ただ、その立場だけで意見が分かれるわけでもない。Aに賛成する職員も、反対する職員も、それぞれ一生懸命に仕事をしていた。
「毎日会うのはいいとして、Aさんが休みの日はどうする?」
そう問われたとき、Aは返事に詰まった。自分の関わる時間だけを増やせばよいのではなかった。
Aは、会う目的と楓子の様子をチームで共有し、自分が不在のときに誰が関わるかも相談した。それでも、子ども虐待を巡る最前線では、職員の信念や存在をかけたバトルになることがある。楓子の幸せを願う気持ちは同じなのに、同僚とすら話が通じなくなることが、Aには何度もあった。
Aは、問題視する人が出てくる覚悟で、たとえ短い時間であろうと、毎日、徹底的に一時保護所の楓子に会いに行った。散歩をした。ごっこ遊びをした。人生ゲームをした。何も話さないときもあった。お茶を飲んだ。
楓子は、一人遊びに慣れていても、誰かと一緒に遊ぶという経験があまりない感触があった。そんな関わりの中で、ある日、人生ゲームの最中に楓子は、まるで初めてのように、Aに思わず尋ねた。尋ねたのは、楓子が買い物ごっこ遊びのために手作りした紙幣のことだった。
「A、これ、いくら?」
楓子はAを試すようにして自分で作った紙幣の価格を尋ねてきた。
「5,000円」
「違う。50,000円」
楓子は、Aの間違いを小馬鹿にする感じで言い放った。
「ほんとうだ」
「A、何も知らないね」
楓子は笑った。その笑いを聞くと、Aはほっとした。これまでの楓子の態度とは明らかに違う態度を示すことができたと思ったからだった。
そして、ほっとしたあとで、考えた。
「今日は、話してくれるかもしれない」
しかし、そうした考えが浮かんだ途端のことだった。
「ねえ、これ全部あげる」
Aが別のことを言い出すのを察したかのように、紙幣がAの手元へ押し出された。
「ありがとう。それで……」
すると、楓子は、今度は、Aにその場の主導権を奪われまいとするかのごとく、さっきとは、真逆の行動を取った。
「やっぱりあげない」
楓子は紙幣を引き戻した。次には、駒を箱にしまい始めた。Aがまだ何か言おうとしているうちに立ち上がり、入口へ行った。
「今日はもう、おしまいなの?」
尋ねるAに対する楓子の返事はなかった。
別の日には、家族との出来事に触れようとすると、逃げていく代わりに、身体を石のように固くした。Aが質問を重ねるほど、返事は短くなった。
「本当のことを聞かなければ、この子を守れない」と、Aは焦る気持ちになった。
しかし、本当のことを聞こうとして、この子を黙らせてしまうのは、なぜか、いつもA自身でもあった。でも、家族の話に直面することを回避する楓子の態度には、自分の聞き方のせいだけではない何かがある気がしてならなかった。
Aは、それでも次の日、また聞きたくなった。一時保護中の大切な時間を、遊ぶだけの時間にしてしまい、肝心な話や楓子の本当の気持ちを聞きそびれてしまうような、無駄なものにはしたくないと思った。しかし、焦って質問を重ねても、物事が何も先に進んでいないという感覚を追い払えるわけではなかった。この間、養父は児童相談所からの面接の要請には一切応じず、「子どもを帰せ」と怒声を浴びせる電話の頻度は増していた。
楓子は、いつもAのペンを見ていた。
「それ、書くの?」
「書くこともあるよ」
「いまのも?」
「何があったか、忘れないように」
Aが忘れなければ、書かなくていいじゃん」
その日は、Aはペンを置いた。けれども、置いたことで楓子に何かを話してもらえるのではないかと思った自分にも、気づいていた。
<来るな、帰るな>
楓子には、Aの来る時刻がわかった。
時計をずっと見ているわけではなかった。廊下の足音がすると、見てしまうだけだった。違う職員だとわかれば、見ていなかった顔をした。
Aが来ると、腹が立つ日もあった。
来なければ腹が立つ。来ても腹が立つ。そんなことを言えば、また「どうしたいの」と聞かれるに違いなかった。
どうしたいかがわかっていたら、先に言っている。
「Aなんか、もう嫌い」
Aは、遊びの道具を持ったまま立ち止まった。
「今日は、会いたくない?」
Aがそう声をかけると、楓子は、
「もう来るな。うざい。何の役にも立たない」
と言いながら、しばらくすると、Aの腕にしがみついた。Aが椅子を引き寄せると、今度は、「触らないで」というため、咄嗟に、Aは手を引いた。
何かをしようとするAに対して、ことごとく拒否する楓子に翻弄され、かつ傷ついていた。傷つきながらも、自分は大人なのだからこんなことで傷つくべきではないと思った。しかし、そう思うと、さらに苦しくなった。次に会う時刻が近づくにつれ、仕事の手や身体が重くなる日もあった。
「受けとめると言ったのだから、私が耐えるしかないでしょう」
職員室でそう言うと、同僚が椅子を回した。
「Aさん一人で耐えることが、この子の安全になるとは限らないよ」
「では、拒絶すればいいんですか」
と言ってから、思わず自分の語気の強さに気づいた。
「そうは言っていない。いま、Aさんもしんどいでしょう」
Aは、返事の代わりに、記録の束を机に置いた。
二人だけの出来事を、チームで辿り直した。
遊びを終える前。予定が変わったと伝えたあと。Aが、楓子はわかっているだろうと思って説明を省いたとき。怒りの強くなる場面には、幾つかの重なりがあった。
「離れることが怖いのかもしれませんね」
「これまでの大人との関係が、ここでも起きているのかもしれない」
「こちらの説明が伝わらなくて、ただ困っていることもあるのでは」
どれも、考えてみる必要があった。どれか一つで、次の日の楓子がわかるわけではなかった。
「Aさんが戻ってくるか、確かめているようにも見えます」
そう言われたとき、Aは、初めて少し息がつけた。
だが、その理解さえ、楓子に向かって「君は私を試しているんだね」と言えば、また何かを壊すような気がした。
翌日、楓子は言った。
「来るなって言ったじゃん」
「うん。今日は、ここにいるよ。話すかどうかは、楓子が決めていいよ」
「じゃあ帰って」
Aは、近くの職員に声をかけてから、その場を離れた。楓子は追ってこなかった。
しかし同じ日の別の時間に顔を合わせると、楓子は何事もなかったように、昨日のゲームを指さした。
Aは楓子の指示どおりゲームを持ってきて、ただゲームだけをした。Aには、とにかくこの時間の過ごし方も、楓子に決めさせてあげたいという思いだけがあった。
<声>
ある日、オセロの最中、楓子がAに向かって駒を投げた。その少し前に、Aは椅子を引いて距離を取っていた。
「怒っていることは聞くよ。でも、人に向かって投げるのは止める。けがをしないよう、駒はいったんここに置こう」
「Aが怒った!!」
楓子の声が部屋いっぱいに広がった。
「止められて嫌だったんだね。怒っている楓子とも話したい。でも、けがをすることは止めるよ」
「怒ったのに、怒っていないと言うんでしょ。みんないつもそう言うもん」
Aは「怒っていない」と言いかけて、やめた。
正直、苛立ちは、あった。
しかし、苛立っているから止めたのか。けがを防ぐために止めたのか。その二つが自分の中で混じっているとき、それでも、止めなければならないことはある。
楓子は駒を握り締めていた。Aは近づかなかった。
やがて、駒が机の上に置かれた。投げた音ではなかった。それでも、二人とも一度、その駒を見た。
しばらくたってから、Aは尋ねた。
「さっき、どんな気持ちになったの?」
楓子は答えなかった。Aは待った。
「声」
「声が、怖かった?」
楓子は小さく頷いた。
Aには、強く言ったつもりがなかった。むしろ、あれ以上は静かにできないほど気をつけたつもりだった。つもりだった。でも、声が楓子には、叱責された以上に怖かったのだ。その思いを、何度も胸の内で繰り返した。
「そう聞こえたんだね」
楓子は顔を上げた。
「楓子は、Aは、怖くないと思ってた?」
「うん」
「Aは怒っていないよ」
「じゃあ、楓子のほうが間違い?」
楓子は、視線を床に落としながら呟いた。
「楓子が怖かったことは、何もおかしくないよ」
Aはそこで、自分の言葉を確かめるように、少し間を置いた。
「声の出し方は、気をつけるね。でも、誰かがけがをする恐れがあるような行動は、これからも止めるよ」
楓子は、返事をしなかった。
その日の記録を読んだ同僚は、「大事なやりとりでしたね」と言った。
Aは、そうであってほしいと思った。
<聞いても意味ないじゃん>
一時保護は長くなっていた。
Aの机には、生活の場をどうするかという検討のための資料が重なった。会議の日付が決まると、何かが近づいてくる感じがした。楓子にもその日付を伝えるべきか、 どう伝えるか。それさえ、考えなければならなかった。
Aは、少しずつ説明した。
家へ戻るには、暴力が繰り返されないことを、どのように確かめていく必要があるか。施設など別の場所で暮らすとは、どういうことか。母親と会うことについて、何が相談できるか。決まっていることと、まだ決まっていないことを分けて話した。
「どこに行くか、楓子が全部決めないといけないの?」
「楓子の希望は、ちゃんと聞きたい。でも、安全に暮らせるかどうかを確かめて、責任をもって決めるのは、大人の役目だよ」
「じゃあ、聞いても意味ないじゃん」
Aは開きかけた口を、いったん閉じた。
説明すればわかってもらえると思っていた。その説明の中に、楓子の言い分が入る隙間はあっただろうか。
「全部が希望どおりになるとは、約束できない」
「ほら」
「でも、楓子が何を望んでいるかで、私たちが考えることは変わる。できないことがあったら、どうしてかも説明する」
「説明を聞いたら、嫌じゃなくなるの?」
「・・・嫌なままのことも、あると思う」
楓子は、Aを見ていた。
Aは、自分以外の人にも話せることを説明した。独立した立場で気持ちを聴く人につながる方法があること。Aへの不満も、Aを通さずに伝えてよいこと。楓子が希望すれば、その人と一緒に、会議へ伝えることを考えられること。
「Aに知られないで?」
「Aに直接言わなくても、伝えられるよ。どういうふうに話を扱うかも、先に聞いていい」
「Aの悪口でも?」
「うん」
「A、それで困らない?」
困らないと言えば、嘘になった。自分の判断が批判されることを、Aは平気で待てる人間ではなかった。
「私が困るかどうかを、楓子が先に心配しなくていい」
と答えを言ったあと、Aは、それが楓子に届くには、言葉だけでは足りないと思った。
「一つだけ、何度でも伝えるよ。楓子が、できるだけ安全に、安心して暮らせるようにする。その目標だけは、譲れない」
「楓子が帰りたいって言っても?」
「帰りたい気持ちを聞きながら、楓子が安全に、安心して暮らせるよう、どうしたら暮らしを守れるかを考える」
「同じことばっかり」
「そうだね」
楓子は机の端を爪でなぞった。
Aは、もう一度説明しようとして、やめた。
<二人だったら>
それは、散歩の途中の出来事だった。
楓 子は、道の端を歩いていた。Aが話しかけなくても、いつも何も話さないわけではなかった。目についたものを言い、Aの返事を待たずに、別のものを見ることもあった。
だが、その日は、突然、言った。
「お母さんと二人だけで暮らせるならば、家に帰りたい」
Aは歩く速さを緩めた。
「お母さんと二人で暮らしたいんだね」
「怒ったお母さんは、まだいい」
Aは、その「まだ」について何か尋ねたくなった。
楓子は少し歩いた。
「お父さんとは、会いたくない」
Aの胸の内で、いくつもの言葉が一度に動いた。
やはり、と思った。
「お父さんとは、会いたくないんだね」
しかし、楓子は、それ以上話さなかった。
Aも、その続きを求めることは無理だと思った。
歩く速度が、少しずつ元に戻った。散歩は、まだ終わっていなかった。
その日の記録に、Aは楓子の言葉をそのまま書いた。自分が何を言ったかも書いた。ただ、曖昧模糊とした気持ちやモヤモヤした気分については、自分だけが見る日記帳に書いた。いや書かないでいられなかった。
<母親と暮らしたいという希望>
養父と会いたくないという発言や、これまでの「帰りたい」という発言の変化の意味について、理解を深める必要があると記録しながら、最後の一行を書いて、Aはペンを止めた。「継続して理解を深める」。便利な言葉だった。その一行を書いたからといって、自分に楓子を理解し続ける力が備わるわけではなかった。
「帰りたい」は、嘘ではなかったのだろう。
母親に会いたい。知っている場所へ帰りたい。養父には会いたくない。
そう考えると、幾つかの言葉が並んだ。しかし、それらが楓子の中で、どのような思いから、どのように結びついているかについては、もっと楓子と話し合うしかなかった。
後日、Aは言った。
「お母さんに会いたい気持ちと、お父さんには会いたくない気持ちがあるのかな。違っていたら、直してね」
楓子は頷いた。
「楓子の言い方だと、どんな感じ?」
楓子は、しばらく黙っていた。
「いま、話したくなかったら、それでもいいよ」
「……うん」
<わからない>
楓子は、帰りたいと言わない日が増えた。
代わりに、「わからない」と言い出した。
「家に帰りたい気持ちは?」
「わからない」
「施設のことは、どう思う?」
「わからない」
帰りたいと言われれば問い直し、わからないと言われれば答えが欲しくなる。Aは、次の質問を探した。
「わからないじゃ、駄目?」
楓子が言った。
「駄目ではないよ」
「じゃあ、何回も聞かないで」
Aは、質問を書いたメモを裏返した。
施設へ行きたいという同意も、楓子は示さなかった。家へ帰るとも言い切れない。その真ん中で、Aが望む方向に頷いてくれるわけでもなかった。
会議では、判断の日が近づいていた。
「本人の意向は、まだ整理されていないということですか」
Aは、少し考えてから答えた。
「いまは『わからない』と言っています」
「それは聞きました。だから、まだ十分に楓子は自分の気持ちを整理できていないのでは?」
「そうかもしれません。ただ、やっと、『わからない』と言えるようになった、とも思うんです」
「それも、Aさんの勝手な解釈ですよね」
「はい」
楓子の「本当の気持ち」を知るべきという理念をもつ職員からは、Aからすれば答えようのない事実上詰問のような質問がしばらく続いた。
Aは、疲労困憊であった。
それでも、処遇決定を下すべき時期は容赦なく迫っていた。
<見落としていること>
処遇を決めていく会議の席で、Aは、今の段階では家庭復帰を見送るべきだと述べた。ただ、楓子が「わからない」と言っていることを、その理由にするつもりはなかった。
繰り返された暴力。帰宅のための約束をしても、再び保護に至った経過。生活の中で続いている楓子の不調。母親と養父が離れて暮らす条件が、まだ整っていないこと。
そして、養父による性的虐待への懸念。
Aは、これまでの事実経過を言葉を選びながら報告した。
「性的な被害については、まだ何も確認できていません。懸念と、確認された事実は分けて説明する必要があります。そのうえで、すでに把握している危険からも、あまりにわからないことが多い段階で、いま帰すことには賛成できません。また一時保護になる危険性を防ぐ方向もみえず、わたし自身、何がベストの判断なのか、その決め手になるものが何も私にもわからないからです」
「帰せないという以上、施設入所も考えているということですか?」
「その方向も今は考えています。しかし、施設に入れば、すべて解決するわけではありません。楓子が失うものもあります。それでも、何もわからない以上、今の家に 戻すよりは、安全を守れる可能性が高いとは考えています」
資料を読み込んでいた職員が、顔を上げた。
「お母さんと二人で暮らしたいという希望が、実現できるかどうかの検討も、まだ十分ではないままではないでしょうか。いまの条件では帰せないからといって、施設入所を選ぶにしても、まだ調べるべきことがあると思います」
Aの胸に、反発が走った。
「楓子に会っていない人に、何もわかるわけない」と、実際に口に出してしまうところだった。
しかし、それを言えば、会議は終わるかも知れない。しかし、それでは、自分と楓子の間に誰も入れなくして、自分だけが楓子を知っていることになる。
Aは、開きかけた口を、別の言葉でつないだ。
「私が見落としていることを、教えてください」
職員は資料に再び目を落とした。
「お母さんと二人なら帰りたいという気持ちは、私も大切にしたい。でも、現実にはお母さんは養父と暮らしていて、養父と別居したり、離婚することに同意しているわけでもない状態です。そんな状態では、どのような道を決めたとしても、楓子に、どう説明し、どう対応したらよいかも曖昧になりませんか。とするならば、まずは、楓子の気持ちを伝えたとき、母親や養父は、どのような態度になるかが、重要なポイントになりそうですね」
すると、ずっと会議の流れを見守っていたベテランの児童福祉司がいった。
「両親の態度が明らかになるまでにも時間がかかる可能性があると思われます。そうなると、その間、実際の楓子の生活をどうするかについても明らかにしていく必要がありそうですね」
最初には二つの結論が向き合っていた会議で、少しずつ、次に確かめることが話され始めた。
一時保護の継続に必要な手続きを進め、社会調査を重ねる。楓子との対話も続ける。
Aは、自分が述べた施設入所の意見についても、いったん保留して検討し直すことにした。
楓子との関係づくりはやめなかった。ただ、その関係の近さが、自分の見える範囲を狭くしている可能性にも気をつける必要があると自戒した。誇大的・万能的になるときではない。もっと、自分以外の人の意見や心配にも率直に耳を傾けようと、密かに思った。
それは楓子にとって重大な決定であり、Aにとっても、一人で抱えていたら潰れてしまうほど重い決定だった。組織として決定していくことの大切さを、Aは改めて自覚した。
<返してほしい>
養父が、ついに母親との面接に同席した。
今後の処遇を決めていく上での重要な合同面接の日である。
面接は、まず両親と、A、Aの上司、児童心理司とで始めた。
楓子は別室にいた。事前に、母親だけと会うことも、今日は会わないこともできると伝えてあった。楓子は「お母さんの顔は見たい」と言い、養父の同席については 「どっちでもいい」と答えていた。
Aらは、短時間ならばと、楓子を同席させることにした。無理に話さなくてよいこと、途中で出てよいことを説明し、児童心理司がそばに座った。それで十分に準備できたつもりになっていた。
未定ながら、施設入所の可能性もあることを伝えたとき、両親の反発は、Aが予想していたより激しかった。
「また施設の話ですか。帰りたいと言っている子を、帰さないんですね。子どもに『わからない』と言わせたのは、あなたが洗脳したんでしょう」
養父は高圧的な態度で激昂した。Aもその場に同席した職員もみな思わず縮み上がるほどだった。
養父は、Aの説明が終わる前に言った。
「こっちは、もうしないと言っているでしょう。何を言えば信用するんです」
Aは、これまでの経過を説明し直した。
「何度も同じことを言わないでください。親はこっちなんですよ」
父は母親を見た。
母親は、緊張しながら鞄の持ち手を握っていた。それは楓子の態度とどことなく似ていた。
「私も、施設には反対です」
母親が、緊張しながら養父を強く意識した様子で、小声で言う。
「お母さんと二人で暮らしたいという気持ちを、楓子は話しています」
Aが、楓子と事前に伝え方を相談していた希望を口にすると、母親の顔が強張った。
「二人ならって……。そんなこと、楓子が言ったんですか」
「はい。最近になって、楓子さんは、そう話してくれました」
母親の顔が、いっそう強張った。
「でも一体、どうやって二人で暮らせというんですか」
と、母親は思わず言った。
その問いは、Aに向けられていたが、養父にも聞こえていた。そして、何よりも、母親の内なる声が露出してしまったような言葉でもあった。
「もしお母さんと二人だけの暮らしになるならば、そのための支援を含めて、いろいろ相談したいと思っています」
「相談したら、できるようになるんですか。楓子も、私も、毎日暮らすんですよ。面接の日だけじゃなくて」
Aは、支援の見通しを話そうとした。
「お金のことも、私の具合のこともあるのに。この人と別れなければ、悪い母親なんですか」
「悪いかどうかを決めるために、話しているのではありません。やっと楓子さんは、その気持ちを言えたのだと思っています」
Aは、必死に楓子の今の気持ちを代弁するようにして伝えた。
「でも、私が何を言っても、駄目だと言うじゃないですか」
母親の声に重なるように、養父が言った。
「この子は、俺たちに謝りたいと言ったんでしょう。それを、どうしてあなたたちが邪魔するんだ」
楓子は頭を下げていた。呼びかけにも顔を上げず、あたかも石のように動かなかった。
「おまえらが楓子に、そう吹き込んだんだろう」
養父が、机を激しく叩いた。
児童心理司は楓子に声をかけ、Aの上司はすぐに面接を中断した。児童心理司は楓子を伴って別室へ移り、Aと上司は、両親にこの場での面接を続けられないことを伝えた。
Aには、楓子が考えることも動くこともできなくなっていたように見えた。これまでにも固まる姿は見ていた。それでも、この場での楓子には、見過ごせない切迫したものがあった。
養父の言葉からは、黙っている楓子を反省していると受け止め、その態度を家へ帰すべき理由にしていることがうかがえた。しかしAには、楓子の動かない姿が、家庭に戻ることへの同意や、両親への反省を示しているとは思えなかった。むしろ、恐怖の中で身動きが取れなくなっていたのではないか。「すみません」と連呼することにも、相手の怒りを少しでも遠ざけようとする意味があったのではないかと思われた。
合同面接は、両親とは何も合意することなく終了した。
そのあと、楓子はしばらく、別室の椅子に座っていた。児童心理司がそばにいた。
「いつ出ても、いいって言ってたじゃん」
Aが顔を見せると、楓子は不満げに言った。
「うん」
「出ていいか、わかんなかった」
Aは、返す言葉を探した。
「出ていいと言うだけで、楓子が出られるようにできていなかった。ごめんね」
その日の振り返りで、チームは面接をたどり直した。机を叩いたところでは中断できた。しかし、その前から楓子は顔を上げなくなっていた。なぜ、その変化の段階で声をかけ、別室へ移る機会をつくれなかったのか。
「短時間なら大丈夫だと、こちらが勝手に決め込んでいましたよね」
児童心理司が言った。
「『どっちでもいい』を、同席してもよいという意味に取っていました」
と、Aも後を続けた。全員、途中で退室してよいと説明したことで、楓子自身が退室を申し出られると思い込んでいた。しかし、そんなことができないほど、みんなまったく身動きできなくなってしまった。
楓子が話してくれたことを伝えたことの意味はあった。しかし、養父が、あれほど高圧的な態度に出てきたとき、それを聞くことになってしまった楓子に与えた影響を考えると誰もが胸苦しくなった。
楓子に説明も準備もしたつもりだった。それでも、守り切れていなかった。Aらは、今後、同席そのものの必要性を改めて検討し、楓子が自分から申し出なくても、その様子に応じて面接を止められるよう、役割と方法を確かめ直した。
Aは、最初の面接でよぎった考えを思い返した。楓子が反省しているなら帰せるかもしれないと、当時は、楓子の反省を肯定的な意味として理解していた。しかし楓子の反省は、大人の暴力に怯えての反省であったことを見落としていたことに目覚めた。
反省しているように見えた態度には、大人の暴力から身を守ろうとする意味もあったのではないか。うっすらそう思ってはいた。ただ、それだけが楓子の気持ちのすべてだったと、決めることもできなかった。しかし、激昂する養父を身をもって体験した後は、もう迷わなくなった。仮に楓子が何をして両親を怒らせたとしても、大人が暴力を振るう責任までを、楓子が引き受けることはないと腹をくくった。
<再調査の中で>
養父の、高圧的で、常に家族や児童相談所の職員に対してマウントを取ろうとする態度についても再調査が実施された。その中で、次第に、学校や地域の関係者から、これまで十分にAにまでは届いていなかった情報が届くようになってきた。養父と近隣住民とのトラブルの多さ。絶えることのない夫婦の諍い。養父からのDVで不安定になった母親が、関係機関でたびたび不穏状態になって暴れることが増えていることなども明るみに出てきた。一方で、中には養父の義理堅さを語る人や、子煩悩に見えていたという人からの情報もあった。しかし、そのいずれの情報も断片的であり、誰かが知っていたことを、別の誰かは知らなかった。それでも、徹底的に調査してみないことには見えてこなかった楓子の家庭の全体像が、靄が少しずつ晴れてその景色がはっきりと浮かび上がってくるように、見えてきた。どうも養父は、楓子が自分の思うように振る舞う時には溺愛的な態度になるが、しかしほんの少しでも自分に逆らうと激昂し、相手に対して支配的になる傾向が際立っている可能性が出てきた。しかもそうした態度の著しい変容は、楓子に対してだけではなく、母親に対しても同様であり、そのことが母親の精神症状にも多大な影響を与えていることも、これまでのさまざまな出来事を時系列的に整理していく中で明らかな悪循環パターンがあることが浮かび上がってきたのだった。
Aにとっても、すでに知っていると思っていた楓子の家族の物語を、何度も何度も語り直していく作業だった。
楓子が過ごしてきた毎日は、恐らく、記録に記されたより、またAが想像していた以上に、苛酷で、恐怖のまっただ中に置かれるような生活が長く続いていたことが、やっとAには透けて見えてきたのだった。
Aは腹をくくった。楓子に、家庭復帰をするかどうかの自己決定の責任をすべて背負わせてはならないと判断し、安全で安心できるとAが判断した道への思いを、今回の出来事を契機に、ついに楓子に率直に伝える覚悟を固めた。
<まだマシな道の選択>
楓子に説明するにあたって、児童相談所では、Aらの報告を土台に、さらに組織的な検討を重ね、養護施設入所への保護者の同意が得られない場合には、児童福祉法第28条に基づく家庭裁判所への承認申立てを進める方針まで立てた。ここまで来ると、あたかも道は一本に見える。しかしAの中では、そうではなかった。もし、間違っていたら。もし、分離することで楓子が失うものを、自分が軽く見積もっていたら。だが、何もしないことにも悲劇的な結果はあり得る。数年前のことだった。よく似た境遇にあった小学生の女の子が死亡した事件が大きく報道されたことが、ふと浮かんだ。そんなことが二度と起こらないようにしたい。しかし、それを思うほど、重大な判断に伴う不安も隠しきれなかった。
夜、職員の数が減ると、Aは楓子の記録簿をそっと開いた。
「すみません」
「すみません」
と、いろいろな場所で繰り返し謝っている楓子の言葉が、目についた。
悪夢。夜尿。消灯への不安。関係の近づいた相手に向けられる激しい怒りと、その直後のしがみつくような接近。すべては、複雑性PTSDを疑わせるような反応だと語った児童心理司のことも、Aは考えた。しかし、診断の可能性を考えることと、被害の内容を確かめることは別だった。その名をつければ家庭で起きたすべてが明らかになるわけではなかった。毎日、どんな威圧があったのか、どんな言葉を浴びたのか、一つ一つに証拠が揃っているわけでもない。それでも、繰り返し把握されてきた暴力はあった。いまの楓子には、眠ることや、人と安心して過ごすことの難しさも続いていた。どの反応が何によるものかを一つ 一つ確定できなくても、すでにわかっている危険に対応する必要はあった。
Aは、自分との関係に起きたことも思い返した。怒られる前に謝ること。離れられる前に突き放すこと。何かを言う前に、大人の顔を見ること。関係が深まるにつれて、近づきたい気持ちと遠ざけたい気持ちが、いっそう激しく現れているように見えたことも思い出した。これらの態度も、ひょっとすると家族関係の再現やそのやり直しのためのテスティングのような言動だったのかもしれない。そう理解すると、あまりに説明がうまくつきすぎる危うさも、一方では感じた。楓子の怒りには、自分のまずい関わりへの怒りもあったはずだった。ただ、これだけはいえる。恐怖の中で暮らしていた可能性の高い家に、もう一度、そのまま戻すことはできない。そう思うと、Aの気持ちの中に次第に明らかになってくるものがあった。
とにかく、圧倒的なパワーに支配された家庭環境から楓子を守りたい。母親も、恐怖から離れて暮らせるようにしたい。養父についても、暴力を止め、その責任に向き合うことを求めなければならないだろう。そうしないと、死亡事件のような、取り返しのつかない出来事に至る危険性すらある。しかし、この問題は、保護者を法律や行政の権威でもって打ち負かして終わりにできるようなテーマでもなく、“こころ”の闇からくるパワーによる恐怖との戦いでもあると実感・自覚した。そう、「養父自身も両親からの激しい虐待を受けていたようだ」という、前々任者のたった一行の記録のもつ深刻さも、急に浮上してきたのだった。しかし、その履歴だけで、いまの行為の問題がすべて理解できたり、責任が軽くなるわけでもない。それでも、暴力を止めるために、養父自身にどのような支援や働きかけが必要なのかを考える手がかりにはなる。
Aは“こころ”の奥から湧き上がる、理不尽な出来事に対する憤怒のエネルギーを実感した。そして、その気持ちは、「恐怖による支配に対する義憤」と呼べるかもしれないと思った。けれども、そう呼んだ瞬間、自分の怒りだけは正しいと思い込むこともできてしまう。書類を閉じ、同僚に自分の覚悟を伝えた。同僚は頷き、少し間を置いて言った。
「その怒りも、ここで話していこう。一人で抱えたままだと、楓子に、Aさんの覚悟まで引き受けてもらうことになりかねないから」
Aは、黙って大きく頷いた。
<楓子との対面>
Aは楓子に、これから進めようとしていることへの思いを、できる限りわかりやすい言葉で伝えた。理不尽さへの怒りを訴えるのではなく、楓子が恐怖から離れ、安全に、安心して暮らせるようにしたいという、“こころ”の底から湧き上がる偽りのない思いだった。今の養父がいる家へ戻るよりは、施設で暮らすほうが安全を守れるのではないか、と伝えた。
「Aが決めるの?」
「児童相談所が楓子にとって一番いいと思う道をみんなで、しっかりと考えて、必要な手続きを進めて決めるつもりだよ」
楓子は黙っていた。Aを見て、そのあと視線を落とした。
Aには、その態度は、自分で決めることができないという楓子の無力感もあるだろうが、まだ子どもの楓子にとっては、大人に任せるしかないという沈黙にも感じられた。
だが、しかし、この手の沈黙は、決して楓子からの委任状ではなかった。そこで沈黙を同意とみなして記録簿に書くことだけはしなかった。
「みんなで決めたことに対して、あとから嫌だと言っていいよ。それに、今日、何も言わなかったことも、それでいいよ」
沈黙の時間が流れた。
楓子は、まだ何も言わなかった。
Aに選べるのは、考え得ることを調べ、話し合い、いまの事実と選択肢の中から、より安全を守れると判断する道を選ぶことだった。選んだあとも暮らしを確かめ、うまくいかなければ見直す。その責任まで引き受ける。すると次の言葉が、Aからふと出た。
「これまでよりは、絶対、マシな道を楓子と選ぼうね」
誰かに「マシな道」などと言えば、頼りなく聞こえるかもしれなかった。
しかしAには、それは、適当にごまかすための方便とか、考えることを途中で切り上げるための決していい加減な言葉ではなかった。誰かが正解を保証してくれるわけでもない未来を前にして、子どもをこれ以上の危険の中に置いたままにしないために、いま選べる道を、精一杯考え続けるための言葉だった。
言ってから、「絶対」という言葉を使ったことが自分の耳に残響音のように残った。
「絶対って言ったけど、困ることが何もなくなるとは、約束できない。でも、選んだあとも、困っていないかを確かめる。楓子が嫌だと思うことも、聞き続けるよ」
Aは、楓子と一緒に考えていきたかった。しかし、安全を確かめ、方針を決める責任まで、二人で半分ずつ背負うことはできなかった。
楓子は、「わからない」とも言わず、まだ押し黙っていた。
<語られたこと>
児童相談所が、両親が施設入所に同意をしないなど、必要になれば、家庭裁判所の審判を仰ぐ方針を固めた頃だった。
その方針を知った楓子が、ある日、折り畳んだ紙をAに差し出した。
「いまは、読まないで」
「うん。いつ、どう読んだらいい?」
「楓子がいないところで……」
Aは、あとで読むことを確かめた。
その手紙には、養父から長く性的な被害を受けていたことが書かれていた。読むにも耐えがたい内容だった。Aの中で、これまでつじつまの合わなかった出来事が、新しい物語として一気につながる感じがした。
「お父さんは優しいよ」と言いながら、消せなかった夜の明かり。散歩の道で「会いたくない」と呟いたこと。固く揃えられた両足。繰り返された「すみません」。
Aは、紙を持つ手をいったん机に置いた。
つながったのは、自分の理解だった。
涙が止まらなかった。その涙は、楓子のいないところで流した。
次に会ったとき、Aは言った。
「手紙を読んだよ。伝えてくれたことを、大切に扱いたい。楓子が悪いから起きたことではないよ」
楓子は、Aの手元を見ていた。
「お父さんに、見せる?」
Aは、すぐに「見せない」と約束しそうになった。しかし、これから必要な対応について、自分だけでは決められないこともあった。
「そのままお父さんに渡すことはしない。でも楓子をしっかりと守るために、Aが信頼している人たちに伝えることはあるよ。でも誰に、何のために伝えるのか、楓子にも説明しながら進めたい」
「何回も、楓子が言わないといけない?」
Aは、楓子が何を心配しているのか、少しわかった気がした。
「同じ話を何度もさせないように、関わる人たちで相談するよ。今ここで、手紙の内容を詳しく話さなくていいよ。話すことが難しかったから、一生懸命手紙にしたのではないの?」
「うん」
楓子は頷いた。
手紙と、それを受け取ったときのやりとりは、そのまま記録した。Aの解釈は分けて書いた。Aらは、楓子の安全と心身の状態を確かめ、必要な診療や心理的支援を相談するとともに、警察などの関係機関と対応を調整した。詳しい聴取は、それを担う専門職との役割分担を確かめ、楓子の負担をできるだけ少なくする方法を相談して進めた。
Aは、真相を聞き出すための質問を重ねる役目と、日々の楓子を支える役目を、自分一人で引き受けようとはしなかった。
<その後>
関係機関による捜査や検察官による楓子への司法面接などの手続きを経て、養父は逮捕された。捜査の過程で、楓子への性的加害を認めた。
母親は、養父との離婚を決意し、離婚後の生活の目処がつき自分が安定するまでの間、楓子の養護施設への入所を自ら申し出てきた。その結果、児童相談所は、家庭裁判所に対する28条による申し立てを取り下げることになった。
ただ、決意しただけで暮らしが変わるわけではなかった。母親自身の安全を確かめ、住まいと生活費、療養を続けるための支援を、関係者と一つずつ相談した。
楓子は、母親の生活が安定するまでの間、児童養護施設で暮らすことになった。
「お母さんと二人だったら、帰りたい」
あの言葉に、ようやく、生活の見通しとして考えられる道ができた。それでも、楓子の希望は現実的にはすぐには叶わず、楓子は施設へ行くことを望んだわけではないが施設にいくことになった。
「楓子、行くって言ってないよ」
Aは、その言葉を何度も聞いた。
「うん。楓子が、行きたいと言ったから決めたのではないよ」
「じゃあ、なんで」
Aは、いま一緒に暮らすための準備が母親に必要であることと、その間、楓子の安全をどう守るかを話した。
楓子は途中で顔を横に背けながら黙って聞いた。
Aは、最後まで楓子が聞いていたことを、Aの説明が楓子に届いた証拠にしないようにした。話を切り上げる前に、また聞きたいときには聞けることを伝えた。
「怒ってもいいって、言ったよね」
楓子は、顔を背けたまま言った。
「いいと言ったよ」
「じゃあ、いま、怒ってる」
「そうか……」
Aは、いろいろいいかけたくなったが、言葉を呑み込んだ。
<帰るまでの日々>
施設に移っても、楓子の寂しさはなくならなかった。
母親に会いたい。ここで暮らすのは嫌だ。でも、母親は、まだ「帰っておいで」とは言ってくれない。
家庭への外泊を巡る希望の有無についても、楓子は、相手によって、日によって、違うことを言った。Aとの面接でも、前に話したことを取り消すような言い方をすることがあった。
「この前と言っていることが違うから、どう受けとめたらいいのか」
施設の職員から相談があると、Aも一緒に場面を振り返った。
「この前の言葉も、今日の言葉も、残しておいてもらえますか」
「では、今日の希望をどう扱えばいいですか」
職員は楓子の本当の気持ちを推しはかりかねていた。
「実は、私の面接のときにも、同じことが起きました。でも、とにかく根気よく付き合っていく中で、なんとなく楓子の中で、はっきりしてくることだと思います。楓子自身、本当の気持ちが毎日変化していくのだと思いました。何かの参考にしてください」
むしろ母親に会いたいかどうかの決断を迫るのではなく、むしろ楓子の希望を第一優先にして、会うなら、どこで、何分間あるいは、何時間くらい、誰かに同席してもらいたいか、して欲しくないか、母親と何をしたいか、したくないかなど、徹底的に楓子の気持ちを聞き取っていくことによって、楓子が主体的に決めていいという体験を保障していく指針をAは養護施設の職員に伝えた。
母親との交流の方法について、まず楓子の希望を聴くところから、プロジェクトがスタートした。このプロジェクトについては、母親や関係者とも相談した。そしてAは、楓子が施設で困っていることにも耳を傾けた。
ずっと大人の顔色を見てきた楓子は、最初は、希望を言ってもよいと言われても、すぐには信じられないように見えた。外泊の話で母親と意見が違うと、「じゃあ、いい」と話を終えることもあった。
「どこが嫌だったか、あとで言いたくなったら聞くよ」
そう伝えた翌日、楓子のほうから話を戻したことがあった。時間を重ねる中で、自分の希望と母親の事情を、どちらか一方で終わらせずに話し合える場面が少しずつ増えた。
施設を訪問するAに対して、楓子は母親の話をする日もあれば、施設の食事の話だけをする日もあった。友達との出来事を話し、急に黙り、Aの仕事の予定を聞いた。
「次、いつ来る?」
Aは、わかっている予定を答えた。変わるかもしれないことも、隠さず伝えるようにした。
それでいつも納得してもらえたわけではない。
母親にも、待つ時間があった。
「いつになったら、一緒に暮らせるんですか」
以前と同じ問いだった。しかし、いま話し合っている生活の条件は、以前とは違っていた。養父と離れた暮らし。療養を続けていること。生活を支える人とのつながり。楓子と母親が、二人きりで困りごとを抱え込まないための関わり。
「ちゃんとしたいんです」
母親は、かつて言った言葉を、もう一度言った。しかし、その言葉には重みと深みが増していた。
Aは、前より母親のことがわかったと言いたくなった。けれども、母親の「わかったみたいに頷かないで」が、いまも耳に残っていた。
「どんな暮らしにしたいですか」
そう尋ねると、母親はすぐには答えなかった。
母親が、自分から支援者へ連絡することも増えた。具合が悪くなりそうなときに誰に相談するか、楓子と過ごしていて困ったらどうするか。面会や外泊を重ねる中で、うまくいかなかったことも話し合った。
やがて、母親の生活が安定し、楓子と暮らしていくための条件と支援を、楓子と母親も交えて具体的に確かめられるようになっていった。
<家庭復帰>
今回の一時保護から1年半後、帰りたいという願いは、ついに叶った。
最初の面接で頭を下げていた楓子が望んだ帰り方とは、違っていた。Aが最初に考えていた道とも、同じではなかった。しかし、楓子は帰り、母親もそれを受け入れる力を前よりは持っていた。楓子と母親の以前との明らかな違いは、二人とも、誰かに相談する力を持てるようになっていたことだった。そして、相談すれば一緒に考えてくれる人が、暮らしの中にいた。
帰る前、楓子はAに聞いた。
「帰ってからも、嫌になったら言っていい?」
「帰りたいって言ったじゃんって、言わない?」
Aは、少し間を置いた。
「言わない。帰ってみて、初めてわかることもあると思う」
楓子は頷き、次にAと会う日を確かめた。
<決めたあとに>
Aは後に、この経過を振り返る手帳に、幾つかの言葉を書いた。
「楓子の内面が変化した」
そう書いてから、しばらく眺め、横に書き足した。
「それだけで説明できるだろうか」
楓子の言葉と身体の反応に触れて、Aの理解が変わった。Aの理解が変わると、会議に持ち込む問いが変わった。他の職員の言葉によって、Aの判断も変わった。調査が重なり、方針が変わり、家族の生活の条件が変わった。
変わった暮らしの中で、楓子が話すことも、選べることも、また変わっていった。
Aは自分の手帳の最後に書き加えた。
「子どもの声は、関係性の中で生成される」
「何が正しいかわからない。が、正しいと思う道を、とにかく諦めず追い求め続けるしかない」
<解説>
よく人は「本当の気持ち」と言う。しかし、楓子のような事例では、その気持ちを、最初から一つに定まったものとして取り出すことは難しい。母親に会いたい。知っている場所へ帰りたい。養父には会いたくない。施設で暮らすのは嫌だ。それぞれが切実であり、本人自身も、とても上手く整理して語ることができない。
「帰りたい」という言葉を、そのまま帰宅の決定に結びつけることも、逆に、大人が考えた「本心」に置き換えることも、楓子の声を狭めてしまう。本作で描いたのは、楓子が、人との関係や生活の変化を通じて、その時々の複雑な気持ちを表す言葉を少しずつ得ていく過程の大切さである。
ただし、関係が深まれば、必ず語れるようになるわけではない。語らないことを、関係づくりの失敗とみなすこともできない。被害を詳しく語ることを、安全に暮らすための条件にしてはならない。
「安全・安心」は、言葉で約束するだけでは成り立たない。現実に危険から守られることと、その生活の中で、本人が少しずつ安心を感じられることの両方が必要になる。楓子の物語では、家庭から離れて異なる暮らしを経験したこと、拒否や怒りを表しても関係が続いたこと、児童相談所が保護を続ける姿勢を示したことなどが、語ることを支える条件になったと考えられる。何が、どの程度、語ることにつながったのかを、一つの理由に決めることはできない。
夜尿、悪夢、身体のこわばり、接近と拒絶といった反応も、それだけで特定の被害や診断を確定するものではない。子どもの苦痛を理解し、必要な支援を考えることと、被害に関する事実を慎重に確かめることは、互いに関わりながらも区別されなければならない。
本作では、ホロニカル心理学の視点から、変化を楓子という個人の内面だけに帰属させず、身体、他者との関係、支援組織、現実の生活条件の変化が相互に関わる過程として描いた。Aが両親との面会で感じた身体的な共鳴感も、その視点から臨床経験を表現したものであり、楓子と同じような体験をしたことでもって、被害の事実を心理学的に確かめたことを意味するわけではない。ただ、養父が激昂したのを身をもって体感したことによって、さらに、まだ上手く言葉で表現できない楓子の内的世界を理解する上での重要な手がかりになったことは間違いがないといえる。実際にその人やその人たちの住む生活場面を知った上で判断することは、子ども虐待などでは、とても重要なポイントになることは間違いがない。会議のための伝聞的情報をかき集めても的確な判断はできないといえよう。
だからといって、「子どもの声は、関係性の中で生成される」という言葉も、大人が子どもの気持ちをつくってよいという意味ではない。語られる出来事の事実が、関係によってつくられるという意味でもない。子どもが、すでに感じている恐怖や、まだ言葉にならない思いを否定するものでもない。
何を感じ、それをどのような言葉で、誰に、いつ伝えられるか。何を望むことができるか。それらは、相手の応答や、現実に選べる暮らしとともに変化する。「本当の声」を、あらかじめ完成している一つの答えとして探すのではなく、表された言葉をその都度大切にしながら、まだ表せないことにも開かれている必要があるのではないだろうか。
子どもの意見を尊重することと、安全を確保する大人の責任は、ともに守られる必要がある。希望どおりにならない場合にも、その理由を説明し、異議や不満を表す機会を保障し、決定後の暮らしを確かめ続けることが求められる。
楓子だけが変わったのではない。Aが変わり、チームが変わり、家族を支える関係機関も変わった。その変化の中で、新しい言葉は、新しい希望を抱いた自己とともに立ち顕れてきたともいえる。
<理論的背景・学術的知見と参考文献>
本作は、以下の理論的視点、学術的知見、権利に関する原則を背景に構成した創作であり、特定の支援の効果や理論を実証する事例報告ではない。また、登場人物の判断や失敗も含め、すべての対応を実務上の推奨手順として示したものでもない。ただ類似事例に関する激烈な現場の実態とそこにある悲哀を少しでも伝えたいことを目的として描いたものである。
参考文献:ホロニカルな“こころ”:場としての“こころ”と心理社会的統合アプローチ、 心理相談室こころ発行、2026.