意識とは

「意識とはどこ迄も直接でなければならぬ、何らかの意味において対象化せられたものは意識ではない。心理学的意識の如きは意識せられたものに過ぎない」との西田幾多郎の指摘は、心理学を学ぶ者にとっては、とても刺激的です。

既存の心理学が、“こころ”を扱いながらも、基本的には、個人内の対象化された意識(無意識を含む)ばかりに限定されているという息苦しさを感じていた者にとっては、「これが言いたかった」という実感をもたらし、“こころ”の実感・自覚を一層深めることができます。

ホロニカル心理学の概念を使って西田の言葉を換言すれば、「における自己と世界の出あいの直接体験こそが意識であり、それが“こころ”といえます。

この観点からすれば、既存の心理学の扱う対象は、すべて意識によって対象化されたものに限定された現象であり、アクチュアルな“こころ”そのものを扱っているとは言い難いと考えられるのです。

“こころ”(直接体験)を通じて、自己は、自己自身と世界のあらゆる出来事の実感と自覚を深めていくことがはじめてできるのです。

自己の意識は、自己と世界の出あいの直接体験との自己照合を通じて、はじめて内省的に客観的な真理、一般的法則、普遍的法則や生きる意味を理性的にも理解していくことができるのです。まずは直接体験ありきです。

“こころ”(直接体験)とは、自然のはからいともいえるすべてを統一する力と意志といえます。それ故、自己は、“こころ”を通して、自己と世界の関係が一即多的に自発自展していっていることに目覚めていくことができると考えられるのです。そうした実感と自覚の上で、宗教・哲学・科学・芸術などが成立すると考えられるのです。

参考文献
西田幾多郎全集第3巻-497,岩波書店、2003年刊行、新版)。