社会的包摂能力(4):相互に包摂しあう社会

ホロニカル・アプローチでいう被支援者とは、生きづらさを抱え苦悩する状態にある人という意味です。「被支援者」と表記しているものの、正確には、ある状態やある現象にあることを意味するため、被支援者の立場か支援者の立場にあるかは流動的です。

被支援者と支援者関係は、社会的状況によって刻々と変化するといえます。

例えば、障害児の支援に関わる支援者が、障害児によって逆に生きる意味の深淵さに気づかされ、救われることがしばしばあります。重篤な疾病者を抱える家族が、絆をより深くすることも起きるのです。

また、被支援者と支援者の関係は、社会・文化の影響を強く受けています。筆者が20代の頃は、「揺りかごから墓場まで」をスローガンに、乳幼児期から老年期までの障害児.・者を、最先端の療育機能と研究能力をもった大規模施設でもって収容し専門的にケアするという理想・理念が破綻し、在宅福祉へと180度方向性を転換させていく時代でした。社会制度の変化は、被支援者と支援者の関係すら大きく変容させるのが実態といえます。

しかしいつの時代にあっても、被支援者・支援者関係が深くなり、相互の信頼関係が深まれば深まるほど、被支援者と支援者の区分や境界は消失し、共に苦悩を抱えながら支え合う関係に自ずと変容していきます。

昨今、「社会的包摂」というキーワードが、さかんに使われるようになりました。しかしながら、障害、疾病、ひきこもり状態にある人が、支援の対象者であり、そうした生きづらさを抱える人たちを、健康で定型発達の立場にある人がサポートするのが社会的包摂ではありません。疾病や障害に関係なく、生きづらさを抱えた状態にある人を尊厳ある主体的存在として尊重し、相互に包摂しあうことのできる社会を共創しあっている状態が社会的包摂能力です。誰もが自助か公助かといった基準で分断されることなく、相互に依存しあうことによって共生的に生きていることを実感・自覚できる社会が社会的包摂能力を持っていると考えられるのです。

生きづらさの源を内的世界にだけ求めると、すべては個人病理の問題という視点に陥ります。といって、すべては○○が悪いと外的世界の問題としても、自己と世界の出あいの不一致に伴う生きづらさは激化します。生きづらさは、内的世界と外的世界の狭間にあると考えられるのです。その結果、自己と世界の不一致が苦悩の源となります。しかし自己と世界は、常に不一致するものではありませんが、常に一致するものでもありません。自己と世界は、不一致と一致を繰り返しているのです。したがって、不一致・一致をあるがままに包摂する力をもった社会が社会的包摂能力をもつと考えられるのです。