“こころ”とは(31):主体なき実在

“こころ”とは、主体なき実在です。

一般的には、実在する(私)が、実在しない“こころ”を持っていると考えられています。が、実際には、その逆です。実在する“こころ”の働きがあって、その働きを実感・自覚する実体なき我があるといえるのです。

“こころ”の主体は、厳密には、我ではなく、“こころ”そのものといえるのです。そのため、私たちは、“こころ”そのものを対象化して観察しようとしてもできません。対象化しようとする働きすら、“こころ”の働きのため、“こころ”そのものを対象化して観察することはできないのです。“こころ”とは、主体なき実在として直観されているといえるのです。