「私」の内・外をめぐって

東洋的な感覚に近い人にとっては、私(自己)と世界、私(自己)と自然、我と汝との関係は、より相互浸透的なものといえます。もし「私」をめぐる「内」と「外」の間に境界膜のようなものがあるとするならば膜が薄いと比喩できます。

逆に、西欧的な感覚に近い人にとっては、私(自己)と世界、私(自己)と自然、相互独立的であり、「私」をめぐる「内」と「外」の境界膜は厚いと比喩できます。

こうした差異がどこから生じたのかは不明ですが、文化人類学などが明らかにしつつあるように、気候・風土なども相当影響してきたのではないかとも思われます。過酷な自然と向き合った西欧人と、四季の移り変わりとともに生きた東洋人では、「私」と「自然」についての認識のあり方に相当の影響があったのではないでしょうか。

「内」と「外」との関係の相互浸透性を深く追求すると、そこには無境界の感覚が生じることになります。無境界レベルでは、内・外の区分がなく、世界と自己は融合的で一体的で同時存在的に感じられることになります。逆に、「内」と「外」との差異をより追求すれば、それは「世界」から独自の存在としての、「自己」の存在に目覚めることになりますが、世界とのつながりを失った孤独に耐える力が必要となります。

結局、「内」と「外」の関係性をいかに認識するかで、世界観や自己観はまったく異なったものになるといえます。