
ホロニカル心理学では、体験を分析的・概念的に理解しようとする外我の働きだけによって到達した真理は、実在の一側面を捉えた部分的な真理にとどまると考えます。なぜなら、そこには、なまなましい出来事を身体的・実感的に直覚する内我の働きが関与していないからです。外我だけによる認識は、身体性や実感なき、機械的・形式論理学的な世界理解となります。
実在する世界の真理は、外我が内我と一体となり、かつ「無我」となり、自己と世界との出あいの不一致・一致を直接的に体験しながら、その体験を絶えず自己照合していく過程において直観的に見出される動的な真理と考えます。すなわち、場所的自己(自己)と場所(世界)との不一致・一致が弁証法的に自発自展する出来事を自己照合的に直観することによって、個別的・主観的な真理とともに、他者とも共有可能な一般的・客観的真理が発見され続けられると考えられるのです。
ここでいう客観的真理とは、主体から独立して存在する固定的・絶対的な真理を意味するのではありません。それは、自己と世界との相互作用の中で生まれた直観が、多様な他者との対話や経験との照合を繰り返しながら、その妥当性を深め、共有可能性を獲得していく真理です。したがって、ホロニカル心理学における客観性とは、主体を排除した客観性ではなく、多様な主体との相互照合を通して成熟していく間主観的・共有可能な客観性です。
この意味において、個別的真理の中には一般的真理が包摂され、一般的真理の中にも個別的真理が包摂されています。両者は互いに対立するものではなく、相互に成立し合い、相互に深化し合うホロニカルな関係にあります。個と全体、主観と客観、特殊と普遍は、それぞれが相手を包摂しながら自己を成立させているのです。
世界(場所)と自己(場所的自己)とが相矛盾しながらも同一にあるところにおいて、主観的真理と客観的真理とは相互に照らし合い、自己照合と他者照合を繰り返しながら、自己と世界の関係自体が深化していきます。ホロニカル心理学では、この終わることのない自己・他者・世界との照合過程そのものが、真理を生成し続ける根源的な営みであると考えるのです。