外界を恐怖する人

通常、内的世界(自己)と外的世界(世界)不一致と一致をいつも繰り返しているものです。だから、両者の不一致が続いたとしても、あきらめず両者の一致点を模索しつづけるほかありません。それに、たとえ一致した瞬間があっても、すぐに再び不一致となるものです。大切なことは、不一致・一致を繰り返すうちに、内的世界と外的世界のほどよい交流が可能になるような生き方を身につけていくことにあるといえます。

ところが外的世界に恐怖ばかりを感じる人は、外的世界と触れあう経験をできるだけ回避するような生き方に自ずとなります。その結果、経験の幅がとても狭くなってしまいます。いつも何かを過剰に警戒し、緊張の絶えない身構えになってしまいます。少しでも恐怖感をもたらすものばかりに過警戒的となって、恐怖感以外の感情や対象には、ほとんど意識が向かわなくなり視野狭窄的状態に陥ってしまいます。場合によっては、内的世界と外的世界の切り離しを図ります。内的世界と外的世界ばかりではありません。自己と他己、意識と無意識、自己と世界など、あらゆる「内」と「外」の切り離しを図るのです。

こうした人たちにとって大切なことは、恐怖以外の“こころ”の気持ちをできるだけ意識できるように支援することです。安全と安心できる場を保障することです。自力ではなかなかできないだけに、「こっちは?」「あっちは?」「それ以外には?」「ほらそっちを見てごらん」「ほらこっちを見てごらん」と、恐怖ばかりにとらわれてしまっている意識に変化をもたらす周囲の働きかけが大切となります。

また恐怖におののき絶望的になりながらも、今日の今日まで、ともかくも生き延びてきたレジリエンス(抵抗力、回復力)を周囲の人が尊敬し畏怖することが、外界に恐怖する人たち自らがもっていた内的強さに目覚めるよき契機となることもあります。