不一致を楽しむ対話の大切さ

不一致を楽しむ対話

自己と世界不一致・一致を繰り返しています。「世界」という言葉を「他者」と置き換えても一緒です。

心理・社会的支援においては、とかく自己と他者の共感関係や信頼関係との構築という理想のもと、自己と他者が一致することを希求しがちです。

しかしながら、自他関係の一致ばかり求めるというのは、実はとても危険なことでもあります。両者が渾然一体となって融合してしまっては、双方の自存独立が脅かされることになるからです。そこには渾然一体化した二者関係には、第三者関係となるものが入る余地がなくなるどころか、三者目にあたる人を排除する心理が働きがちです。

大切なことは、自他関係の一致を希求するのはなく、むしろ不一致の時の対処と大切とホロニカル・アプローチでは考えます。

好きな色が、赤と黒と違った時、どのように対処するかです。 同じ場所にいながらも快と感じる人と不快と感じる人が出た場合、どう対処するかです。同じ行為に対して、善と判断する人と悪と判断する人が出た場合、どう対処するかです。普段の生活は、こうしたことが溢れかえっています。また個人主義と価値の多様化の進む現代社会にあっては、むしろ信念や価値の違いに基づく争いごとや対立が激化しているのが現実です。

どうもこうした事態に遭遇した時、日頃、支援者という立場にいない人の方が、心理社会的支援者よりも耐性力があるように思われます。それは、心理社会的支援者ほど、信念や価値の対立を、情緒的な水準、気分の水準で受け止め、気分や情調の共振ばかりに注意を払いすぎていて、不一致の現実を対象化して、不一致の背景にある論理の差異をできるだけ論理的に考察することを苦手とする傾向があるためと思われます。

心理社会的支援者ほど、クライエントや当事者以外の関係者との不一致に対して、気分に基づく批判ばかりが露出し、対象化され客観化された論理として理解する作業が弱い傾向にあるからと思われます。