実感・自覚(2):

親鸞

自己と世界の出会いの直接体験の内に「IT(それ)」の働きを何ら現実主体(我)の計らいなく(主客合一)、自然法爾(仏教用語.親鸞)の出来事として深化させていくことが実感・自覚です。

「IT(それ)」の働きは直接体験にとっては内在的かつ超越的です。場所的自己を自己の立場から見直しても、自己にとって「IT(それ)」は内在的かつ超越的なものとして、全一的・統合的主体として作用(働く)することを意味します。

絶対無は、絶対無自身を自己否定する「IT(それ)」を内在し、かつ超越するものといえます。絶対無と「IT(それ)」は絶対弁証法的関係にあります。絶対無即「IT(それ)」であり、絶対無と「IT(それ)」は絶対矛盾的自己同一(西田哲学)にあると考えられます。

絶対無(空)は、「IT(それ)」が作用することによって、ビック・バンにはじまる絶対有の宇宙を創り出し、絶対有の宇宙は、絶対有の宇宙自身を自己否定する「IT(それ)」を内在的かつ超越的に働かせることによって、相対有(可視化可能な対象)と相対無(可視化不可能な対象)からなるこの世界を創り出していると考えられるのです。

絶対無(空)が「IT(それ)」を内在し、「IT(それ)」が絶対無(空)を否定しようとすることで、無常の世界が瞬間・瞬間創造され続けていることを直観的に実感し深めていくことが自覚です。

「IT(それ)」の作用(働き)に対して、人々は、宗教・科学などを通して、いろいろな名を与えてきたとホロニカル心理学では考えます。