自己と現実主体

二つの自己があるという考え方があります。

一つは、通常、日常活動の中で、使っている時に、何かを思考したり判断したりしている時など意識的活動の中心にいるとされる自己です。それは、「私」「我」「自我」「小さな私」など、いろいろな言い表されているものに相当します。

ホロニカル心理学では、「現実主体」と概念化しています。

 

現実主体に対して、もうひとつの自己があります。この自己は、「私自身」「己(おのれ)」「大きな私」「真の自己」などいろいろな呼び方をされます。

 

自己と現実主体の差異を念頭においておくと良さそうです。

自己は現実主体と比較して、より潜在的で、より広く、より大きく、しかも多様性をもつのに対して、現実主体は、より顕在的で、より狭く、より小さく、しかも一点集中的であろうとすることです。

こうした差異があるため、自己との対話なき現実主体の自己決定は自意識過剰の独占的決定になりがちですが、自己の直接体験との自己照合に裏づけられた自己決定は、よりの現実に即したものになる可能性が広がるといえます。

自己と現実主体の対話が大切なのです。

 

この時、世界とは関係なく独立自存するような自己を現実主体がいくら追い求めても、実は無限の暗闇世界に落ち込んでいくだけです。それに対して、もしも自己の底にいつも世界と触れあっている自己自身を直覚することができるならば、時々刻々変容するこの世を実感する度に、常に新しい人生の道を発見・創造し続けることが可能となります。