無限即有限

色即是空、空即是色、無限即有限、有限即無限など、仏教思想には、一見、常識的な理解を逸脱する言葉が沢山あります。

しかし、ふっと、「ああ、そういうことか」と、アッハ体験的にその意味が突如として了解できる瞬間が訪れます。

有限即無限では、次のような体験となります。目の前の万物に対して、ひとつひとつ丁寧に名前を与えていきます。パソコン、マウス、机、ボールペン、電気、壁、パソコンのキーボード・・・家、名古屋、愛知、日本・・・と目の前のすべての世界に対して、言葉でもって識別しはじめていくと、目前の有限にみえていた世界が、そのまま無限であることに気づきます。一見、有限に見えるが、実は無限、無限にみえるが、実は有限と頓悟するのです。

視覚的に捉えられる目の前の世界も東栄町、瑞穂区、名古屋市、愛知県、中部地方、日本。アジア、地球という広大な世界とつながっています。その地球もずっと遠い宇宙の果てからみえば微塵といえます。無限の宇宙からみれば、地球も微塵といえるのです。

有限が無限であり、無限が有限といえるのです。本来、識別するから無限になるであり、すべては名をもって識別することなどできないものといえるのです。また仮に名を与えても、名を与えたものが、それのみで存在するような本質的なものなど、何もないといえるのです。

名を与えた途端、あたかもそこには有限の何かがあるかように思え、そうした有限のもの相対しながらこの世界を創っているけど、識別を止めた途端、それはそのまま絶え間なく無限に生成消滅を繰り返している「色即是空、空即是色」と体感されるのです。