場所的自己(12):身体症状の意味

場所的自己にとって、身体とは、場所的自己と場のせめぎ合いの舞台です。そして身体症状の推移は、との不一致・一致に伴う場所的自己の緊張と安堵の戦いの顕れと言えます。そして場もまた緊張と安堵の戦いを場の雰囲気として包摂します。

身体症状に対してどのような態度をとるかは、まさに場に生きる自己にとっては、場との不一致・一致に直接関わる根本的テーマであり、死活問題にもつながっていきます。

場所的自己そのものには、無限のミクロ単位である量子から無限のマクロ単位である全宇宙に至る多層多次元なレベルと複雑に絡みあって影響しています。そうした場所的自己が、多層多次元な各レベルと、一体どのような態度をとるかは、場所的自己の生き方に自己言及的な影響を与えるとともに、場にも影響を与えます。

例えば、場そのものを創り出している量子の振る舞いなど、自己(場所的自己)にはまったく関係がないと思って生きるかどうかは、やがて世界観の差異となって、その後の人生の歩み方の違いになっていくと考えられるのです。しかも場所的自己が、場にどのような世界観を抱いているかは、場そのものに影響を与えるのです。

ホロニカル心理学では、場抜きの自己など、作りだされた観念でしかなく、場所的自己が関係しない場などあり得ないと考えます。その意味では、身体症状を作りだしているのは、場であり、かつ自己自身であり、自己以外のものでもあるのです。

身体症状は、狭い医学的な意味では病気と診断される場合もあるのでしょう。しかしもっと多層多次元な多義的な意味を包摂する身体症状は、場所的自己や場のありようを変容させるよき契機となる可能性を含んだものともいえるのです。医学的に病気と診断された場合にあっても、物理的現象としての身体症状だけ対象にして医学的に治療するのではなく、もっと多層多次元的な包括的なアプローチが必要となると考えられるのです。