複雑な“こころ”

スポット法のある場面

“こころ”は一色ではありません。たとえ、ある出来事の一つをとったところで複雑な思いを抱いているものです。ある出来事に対して、信じられないという気持ちを公言していたとしても、その言葉の奥には不快という気持ちがあったり、驚きが隠されていたり、受け止めきれない寂しさなど、複雑な感情が含まれているのです。ホロニカル・アプローチスポット法では、そうした複雑な感情が明らかになります。

またこうした複雑な気持ちの同居状態に対して、公言された言表は表向きの仮のもので、本来の気持ちは寂しいんだろうと憶測することも表面的な理解といえます。

複雑な思いは複雑なままに理解していく姿勢が大切です。相反する気持ちを同時に抱くことなどいつでもどこでも起きている現象であり、当の本人ですら言語化できないものです。

加速度的に浸透する高度情報化に伴うグローバル化は、価値の多様化が進む変動社会です。変動社会は、かつてのような安定した社会の中で、時と場所に関係なく、一貫した自我同一性を確立した人を大人とみなした時代とは様変わりしました。自我同一性の確立を大人とみる価値観だけでは、むしろ生きづらくなってきてしまったとすらいえます。

刻々と変化し、時と場所が異なれば、臨機応変な対応を求められる社会にあっては、自我同一性にこだわっていると、融通の利かない堅物扱いや空気を読めない障害がある人としての烙印すら押されかねない時代となってきているのです。人々の内的世界は、外的世界の変容に呼応するようにして、ますます多様化し複雑化してきているのです。

こうした時代を生きるためには、多様化する外的世界との出あいに対して、複雑な気持ちを抱く自己自身を、同じ身体的自己上で起きている出来事として統合的に受け止め、かつ理解することが肝要となります。もし、いろいろな自己と世界の出あいの断片を統合的に理解できないと、それぞれの出あいは、自己の断片的な直接体験としてでしか受け止められず、自己は世界との不一致感をますます高めてしまうことになります。こうなると物事に一貫性をもてない自分はおかしいのではないかと思い悩むことになります。もし、悩む主体すら解体すると、自己の統合性を失い断片的自己に翻弄されることになります。

しかし自己と世界の出あい不一致と一致に伴う多様な直接体験の自己の断片同士が、同じ身体的自己上での出来事として統合的に実感・自覚できる時、断片化・分裂化する自己から自己自身を守ることができるのです。自己が自己自身を統合的に理解できるような観察主体の確立が、自己同一性を獲得させていくことができるのです。

自己と世界の不一致・一致の出来事を統合的に実感・自覚していくことのできる究極的観察主体とは、自己と世界が元来同一のものの現象的な顕れ方の差異に過ぎないということに目覚めていく絶対的観察主体=「IT(それ)」といえます。