学び方

「どんな勉強をすればいいですか」「どんな本を読めばいいですか」と、心理社会的支援法をもっと勉強したい人たちから、よく質問を受けます。

差し障りのない回答をするならば、<まあ、できるだけ古今東西、過去から現在に至るまで一通りの考え方や技法などの概略を知っておく程度の勉強は必要でしょう>となります。しかしながら、たとえ、それだけでも今や勉強するにはあまりにも膨大な知識の量であり、多大な時間すら必要となります。また質問者の意図もそうした現況をよく知った上で尋ねています。

このテーマに関しては次のように考えています。
<より適切な心理社会的支援法の学びは、既存の理論や技法に頼るのでなく、むしろ実際の事例に則して、今の対応法の適否を自己照合し自己検証していくことがベストだろう>という回答になります。しかも、<自己照合と自己検証の主体は、実は支援者ではなく、当事者自身>ということになります。<支援が適切であったかどうかは、まさに当事者自身に尋ねるような支援がもっとも効果的な支援の発見・創造につながる>という視点になります。そして生きづらさを抱えていた当事者にもっとも適切な変容をもたらした対応法の理論化や技法化が、よりよき心理社会的支援のための学習法になるというわけです。

いわゆる「実際の事例から学ぶ」「実践即理論・理論即実践」という研究姿勢がもっとも大事になるのです。

実は、こうした自己再帰的自己言及的ともいえる対応法の研究方法は、因果論的に基づく近代科学のパラダイムとは異なります。数々のデーターの蓄積から一般化され普遍化された理論や技法を応用するという視点ではなく、関わりながらもっとも適切な変容の道を常に模索し続けるといった動的プロセスそのものから学ぶ姿勢となります。

「今・ここ」の目の前の当事者との間での関係性の中から、もっとも適切な理論と技術が日々発見・創造されるという学び方になるわけです。そうした日々の実践を支えるためには、日頃からいろいろな努力をしている必要がありますが、それが専門書なのか、それ以外の読書なのか、もっと別の社会体験を積むことなのかは、いずれも大切なことばかりで、どれがいいとは一概には言えませんが、すくなくとも自らの心理社会的支援体験自体を観察対象として観察しながら、よりわかりやすい日常語でもって当事者との関係性に基づく体験の言語化を試みることが大切といえます。その語りがみんなにとって、よりよき智慧の血肉化や共有財産化するように努めるのが、もっともよりよき支援法を学ぶ学習法といえるのです。

専門用語を駆使できるようになることが必ずしもよき実践につながるとは限りません。専門用語は、専門家同士の会話の中では有効であっても、異なる専門家や非専門家の中では、ただの外国語にすぎないという限界を熟知しておくことが大切です。よき実践ならば日常語で語ることができるとともに、いろいろな専門用語をわかりやすく自分なりに翻訳し直せるのが本来の姿といえます。

事例で行き詰まる度に、先達の発見・創造したいろいろな既存の理論や技法に打開策のためのヒントを真摯に求める姿勢をとることはとても大切です。しかしこのとき、大切なポイントが1つだけあります。行き詰まった事例の打開策を求める時、ただ闇雲に先達や既存の理論や技法に頼るだけでは危険な行為につながるということです。大切なポイントは、その逆です。実際の事例に即して既存の理論や技法の有効と思われる部分だけ取り入れながら、再度事例を自分なりに見直し再統合するような主体的姿勢が求められるということです。既存の理論や技法はそれぞれその既存の理論や技法が対象としている問題に対しては有効ではありますが、それぞれの理論や技法は、それぞれ異なるパラダイムの上に成り立っていることが多く、そのまま既存理論を応用しようとすると、パラダイム同士の衝突が起きてしまい、さらに問題が錯綜してしまうことがあるからです。チェス、将棋、オセロの区別をしないまま同じ室内ゲームをしてるようなつもりで、既存理論や技法を不用意に学んでいると当事者も支援者も大混乱することがあるのです。そうなってしまうと支援者も当事者も、今一体何をしているのかわかなくなってしまって袋小路に入り張り込むこともしばしばです。いろいろな理論や技法を統合的に扱うことを可能とする基盤となる哲学・倫理などのパラダイムの構築が常に必要になるのです。適切な心理社会的支援とは、既存の権威や理論を常に再構築していくような創造的営みといえるのです。

支援・研究の場が、日常の喧噪から離れた診察室、面接室や実験室など、非日常性の要素が高い場とは異なり、家庭・学校・会社・施設、地域社会など、人々が日常生活を営んでいる場で心理社会的支援をする人の場合には特に注意を要します。生活現場の日常性は、非日常的現場とは異なります。生活現場は、複雑な要素が錯綜しながら日々刻々変容していきます。特に最近の高度情報化社会到来による社会の変化は指数関数的です。そのためこれまでのような複雑な要素をできるだけ統制し、できる限り因果論的な分析を緻密に行って、取り扱うべき対象を特定し、細分化された対象を扱うことを得意とする専門家だけによる対応では限界が訪れています。日常性から離れた面接室、診察室、実験室、研究室では、それなりの効果を示したとしても、いったん、当事者が日常生活の喧噪に戻ると、すべの努力が元の木阿弥になることもしばしばです。また日常性から離れた面接室、診察室、実験室、研究室で培われた理論や技法を、そのまま多層多次元な問題が重層的に錯綜する生活現場で応用しようとしても、まったく歯が立たないのも現実です。特に非日常的な支援の場に通う動機も意欲もない重層重複的問題を抱えた多くの当事者への支援には、まったく対応できていないのが実態です。その逆に、困難な事例にも効果的な変容をもたらした日常の生活現場で培われた理論や技法を、非日常的支援の場でも活用することは、より効果的で持続的な変容を期待することができます。

日常現場では、「専門家と非専門家というヒエラルキー的階層に基づく会話ではなく、開かれた対話」が大切となり、複雑な要因を複雑なまま扱うことを可能としていくような統合的な視点になった理論やパラダイムの構築が必要になるのです。

ホロニカル・アプローチは、まさにそうした必要性から創発された新しいパラダイムです。それは「既存理論や技法の差異を観察主体と観察対象の組み合わせの差異として統合的に理解する」「多層多次元な“こころ”の現象」「自己と世界のホロニカル関係(縁起的包摂関係)」などの中心概念によって構成された新しい心理社会的支援のパラダイムなのです。