若葉さんは、保育園に通っているとき、大好きだったお母さんを交通事故で失くしました。
その後、お父さんは、若葉さんが小学校低学年の頃、若葉さんより年上の子どもをもった女性と再婚しました。このとき、お父さんは、若葉さんに、新しいお母さんと新しい姉と仲良く暮らすことを求め、若葉さんもお父さんのために「うん」と答えました。血のつながりはなかったものの一人っ子だった若葉さんにとっては、年上のお姉さんが出来たことはとても嬉しい出来事でした。
若葉さんは、姉とは、よても仲のよい姉妹として育ちました。しかしながら、どうしても継母とは上手くいきませんでした。継母は、物の購入ひとつとっても、若葉さんからすると明らかに態度の違いを見せました。若葉さんにとっては、継母は姉に比べて自分には厳しさを感じ、そのことに傷つきながらも耐えました。時々、お父さんに継母の態度の違いを訴えたものの、「おまえが我慢さえすれば、すべては上手くいく」との言葉がいつも最後の言葉となるため、姉のように継母に甘えることは一切できませんでした。
若葉さんは辛い体験を、何でもないことにするために、人形ごっこで理想の家族を作ってひとり遊びに没頭したり、勉強にまい進することによって両親から見捨てられないように必死に努力しました。しかしそれは、“こころ”の傷との直面を切り離したり否認することによる生き残り策でした。
20歳を超えた頃、若葉さんには、とても優しく理解のある彼氏と出あい結婚しました。若葉さんは、実家とは異なる新しい居場所をついに持つことができたのです。
ところが、その頃からの出来事です。若葉さんは、たわいもない日々の新しい家庭生活がとても幸せと体感するようになった頃から、これまでの実家での暮らしとの差異に気づくようになりました。すると、今までは、空想に逃避したり、切り離したり、否認してきたつもりだった過去の実のお父さんと継母の何げのない言動への怒りが、次から次へと“こころ”の闇から魑魅魍魎のように沸き上がってくるのを自己抑制ができなくなってしまったのです。
怨念は際限なく出て来てしまいます。しかも夫や親友に話せば楽になるというような簡単な代物ではなく、夫も親友も戸惑うようになっていきました。
危機はさらに募ります。というのは、若葉さん自身、憤怒する自分自身に対して罪意識を抱くようなり、憤怒すればするほど原罪意識がさらに募るという無限地獄から自力では脱出できなくなってしまったのです。
こうした若菜さんの苦悩を知る友人たちは、若菜さんの苦しみを和らげるつもりで、次のように声をかけました。
「今は親に会いたくなければ会わなくてもいいのでは・・・」と。
しかし、若菜さんにとっては、こうした言葉が、さらなる苦悶を引き起こすほど苦しくさせます。若菜さんにとっては、「今は」という言葉の意味に、「親に何かあったり、死に目でもない限り・・・」という含みを感じ取ります。しかし若菜さんの心境は、とにもかくにも、「たとえ親の死に目であろうと、一生、会いたくない」のです。それだけに、すべてを知っている友人たちの言葉の「今は」という一言に、「やっぱりたとえ親の死に目でも会いたくないと思っているような自分は、ひどい娘なんだ」と聞こえしまい、一層、苦しくなってしまうのです。
友達の言葉は、若葉さんには、「せめて親の死に目に会ってあげることで親を許してあげたら」と聞こえてしまうのです。「今は、会わなくてもいいのでは・・」といわれても、「いずれ畜生のような非道・悪行を懺悔し、そして両親を赦してあげたら」と聞こえてしまい、それができない自分は、「詫びて死ね」とでもいわれているが如く責められているように聞こえてしまうのです。
無論、若葉さんは、親友がそんな責める気持ちなど一切ないということは重々承知しています。しかしながら、親を恨むということ行為自体が許せない若葉さんにとっては、親を許せないことに悶々とすることになるのです。
しかしやがて若葉さんは、こうした複雑な感情を抱く自分自身を、ほどよい距離をもった自分から俯瞰する中で、原罪意識を抱き苦悶する自分を少しだけ自己受容でくるようになりました。すると、親の死ぬ目に会うか会わないかかは、会わなくてはいけない問題ではなく、罪意識を抱く自分自身が自己決定することのできる問題と実感・自覚していく中で、ずっと安定した家庭生活をおくることができるように変容していきました。
※カテゴリー「事例的物語」は、ホロニカル・アプローチによる実際の事例をいくつか組み合わせ、個人が特定できないような物語として構成されています。