「ただ観察」(5)

観察主体の働きを一切停止し、自己と世界の出あい不一致・一致直接体験をあるがままに観照していると、そのうち直接体験そのものが不一致から一致を目指して、適切な自己自己組織化し始めることがあります。

このとき観察主体は自己の直接体験そのものに合一しています。観察主体は、東洋思想でいう「真我」となり、自己そのものとなっています。