対話(2)

ホロニカル心理学でいう対話とは、コミュニケーションにおいて、人と人が自己と世界との一致・不一致直接体験のせめぎ合いを絶えず繰り返しながら、そこに何か新しい意味と関係を言語を使って生成し続けようとする無限の流動的プロセスのことです。

対話では、刻々変化していく自己と世界との不一致・一致に伴う直接体験が自己照合の基盤となっています。しかし自己と世界(他者)との一致体験は即座に不一致体験によって破られ、不一致・一致をめぐって対話は無限に続きます。

不一致を契機に双方が一致する方向を希求しあっていく対話は、お互いの差異を無限に取り込むことによって、それぞれが自己自身の自己変容を自己組織化していきます。お互いのいずれが正しいかを競争するのではなく、お互いが新しい何かを共創していくコミュニケーションが対話です。

直接体験を自己照合の手がかりにする対話とは、一瞬・一瞬において一切合切を自己に映しあった場所的自己同士が共に自己と世界の不一致・一致の繰り返すに伴う微妙な揺らぎを新たな自己の自己組織化のための自己照合基準としながら、お互いに共創的変容を目指しあうことです。したがって対話で使われる言語の意味は、その都度、対話の文脈に沿って微妙に変容し、新たな意味や語義が生成されていきます。

留意すべき点があります。社会的役割に基づく利害の調整、何らかの意思決定や判断を下すことを目的としたコミュニケーションは、ここでいう対話とは区別されるということです。こうした非対話的会話では、外我が内在化するホロニカル主体(理)が自己照合の基盤となっています。非対話的会話で使用される言語は、刻々変化する社会的文脈を持つ場からは独立・遊離した語義と文法を持っています。そのため対話と比較して共創性や流動性に欠けます。その結果、非対話的会話では、会話が不一致になる度に、その場ではすぐに結論を導き出すことが出来ず、一旦、所属する組織の上司と相談したり、その場を離れて熟考する必要が出て来ます。

対話と非対話との差異を、ホロニカル論でもって考察すれば次のようになります。

対話の場合は、会話する双方の外我が内在化してきたホロニカル主体(理)を、内我の直接体験の実感を自己照合の手がかりとして自ら変容させていくコミュニケーションといえます。対話は共同研究的協働関係による共創的行為といえるのです。

それに対して非対話的会話は、双方が外我が内在化するホロニカル主体(理)を自己照合の手がかりとする外我同士の会話であり、このときできるだけ内我の直接体験の直覚を自己制御した知的で論理的なコミュニケーションといえます。

実は、心理社会的支援で、被支援者が腑に落ちるような有効な変容を引き起こすときのコミュニケーションは、共同研究的協働関係による共創的行為が優勢なときといえます。