ABCモデル(6):「でも」への対応

ABCモデル

ホロニカル・アプローチABCモデルでは、B点(自己と世界の一致のホロニカル体験)への焦点化及び増幅・拡充を重視します。過去のホロニカル体験を、支援の「今・この場」において想起することによって、観察主体(現実主体)が無となって忘我奪魂となっている時の体験を追体験できるようにするのです。なお、ホロニカル体験は、得ようと意識過剰になると、かえって無心となることができず得られません。ホロニカル体験は、事後的に振り返ってみて、「あの時は無心になって○○していた」という感覚であることには留意が必要です。

ホロニカル体験が、見つからない場合は、「支援の場」におけるホロニカル体験の構築を図ります。「今・この瞬間の外の景色」をひたらすらボーッと見てみる。深呼吸で気持ちを整えてから、「今・この瞬間の音」にじっと耳をすませてみる。「目の前の振り子時計の振り子を、振り子になったつもりで20秒ほど、ただ眺めてみる」などです。A点に視野狭窄的になっている人も、B点のホロニカル体験の増幅・拡充を図っていくと、A点時の陰性感情を附随する神経・生理学的な反応が、B点時の陽性感情を附随する神経・生理学的な反応によって、波が相互干渉しあうようにして気分の安定化を促進することができます。こうして、A点、B点の行ったり・来たりを促進していると、次第に、あるがままの自己と世界を俯瞰する適切なポジション(C点)に観察主体が布置しやすくなります。

ただし、適切な観察主体C点が、支援者との共同研究的協働関係が未成立の場合や、被支援者のA点固着がとても根強く、その苦悩から早く脱したいとB点への移行に執着的になっている場合ほど、たとえ一瞬のB点のホロニカル体験を実感し得たとしても、「でも」という感じで、たちまちのうちにA点のドツボ状態に被支援者は舞い戻ってしまいます。

これを防ぐ方法があります。B点を希求する前に、まずはA点固着状態にある自己自身を、被支援者と支援者の共同研究的協働関係のC点からありのままにただひたすら観察(ただ観察)し続けることです。ただし、この時、被支援者は、支援者の支援がないと、A点固着状態にある自己自身を、さらに追い込むようにして自己懲罰的な自己卑下的評価を下し続けます。被支援者の観察主体には、不適切なホロニカル主体(理)を内在化した外我が観察主体となってC点に布置するからです。こうしたときには支援者は、A点固着状態に苦悩する自己を観察対象としながらも、さらに追い打ちをかけてしまう被支援者の観察主体を含めて、まるごと評価することなく、ただあるがままに包む込む姿勢を貫くことに徹底することが大切になります。すると被支援者は、ドツボにはまっている自己自身を、適切な観察主体C点から俯瞰することが可能になってきます。

頑固なA点固着に悩み、そうした自己自身を自己否定的に自己評価してしまう被支援者を、被支援者が支援者と共に適切な観察主体C点から、丸ごとそのまま包み込むことができるようになると、自ずと、被支援者は、たとえ一瞬であったとしてもB点を持っている自己を事後的に実感・自覚することができるようになってきます。このとき、被支援者は、A点固着状態にある自己を、あるがままに受け止めはじめると、「でも、こんな時もあるんですよね」と語り出します。

適切な観察主体C点無き「でも」と、適切な観察主体C点から、「でも」と語りだすのでは、まったく異なる自己意識の段階といえます。適切な観察主体C点無き「でも」段階では、被支援者は、A点とB点の行ったり・来たりの人生を抱え込むことができず、A点かB点かの人生に引き裂かれた世界に生きています。悪いか良いか、黒か白か、悪か善か、不快か快かといった二分法的世界に生きています。自己意識の発達段階でいえば、第3段階以前です。しかし、A点とB点の行ったり・来たりの人生の悲哀をC点から抱え込むことができるようになる自己意識の発達段階は第4段階に移行しはじめからといえます。自己意識の発達が第3段階以前の人には、周囲の支援者が、A点とB点を一喜一憂しながら変化する被支援者を、そのまましっかりと包み込む力が求められるのです。