すでに心理学において一般常識化されている重要概念を、その概念を重要たらしめている前提にまで遡って見直してみる必要があります。
知・情・意とは、意識とは、無意識とは、行動とは、認知とは、愛とは、憎とは、とこれらの問いの究極のうちに明らかになることは、すべて“こころ”の働きということです。しかしながら、知・情・意、意識、無意識、行動、認知・・・と、“こころ”の働きを要素的に分析して、その要素を再構成しても、実は、“こころ”とはなりません。“こころ”は、要素還元主義的視点では捉えきれないのです。
“こころ”の研究は、“こころ”を公理的な前提として語るのではなく、“こころ”に関係すると思われるあらゆる現象の背景にあるものを探求するような態度でなければなりません。そうでなければ、そうした言説は、ある教義とはいえても、学問とはいえません。
ホロニカル心理学では、“こころ”とは、すべてをすべてらしめている働きと捉えています。“こころ”は、これという本質などなく、あらゆる出来事や万物の生成消滅にかかわっている作用と考えています。あらゆる出来事や万物がおいてある場所のようなものです。
そしてあらゆる出来事や万物がおいてある場所とは、西田哲学が指摘するような「絶対無」であり、それは大乗仏教がいう「空」に相当するのではないかと考えているのです。ホロニカル心理学では、この仮説的前提から、心理学の再体系化を試みていますが、この作業は、あくまで学問的仮説です。