
ホロニカル心理学では,クオリアとは、物理現象と意識現象の相互包摂から立ち顕れる質感ではないかという仮説を持っています。
クオリアとは、私たちが経験している主観的な質感を指します。たとえば、赤を見るときの「赤く見える感じ」、音楽を聴いたときの「切なさ」、夕焼けを眺めたときの「美しさ」などがそれにあたります。これらは、外部から観察可能な行動や脳活動としてだけでは尽くしきれない、一人称的な心的生活における内省可能な質感です。
脳科学の立場からすれば、赤を見ているときには視覚野を中心とした神経活動が生じていると説明できます。しかし、その説明だけでは、「なぜその神経活動が、赤として感じられるのか」という問いが残ります。物理的な神経活動の記述と、赤さとして経験される主観的質感とのあいだには、なお説明上の隔たりがあります。この問題は、意識研究において「意識のハード・プロブレム」と呼ばれてきました。
ホロニカル心理学は、この問題に対して、意識現象と物理現象をあらかじめ分離された二つの実体として捉えるのではなく、同一の“こころ”の場において相即的に立ち顕れる二側面として捉えます。すなわち、意識現象が物理現象から一方的に生じるとも、物理現象が意識現象の単なる外的表現にすぎないとも考えません。むしろ、物理現象と意識現象は、観察主体と観察対象の関係性のなかで、相互に包摂し合いながら立ち顕れるものと考えます。
この視点から見ると、クオリアとは、脳内の特定部位に局在する「感覚の物質」ではありません。また、世界から切り離された主観の内部だけに閉じ込められた私的感覚でもありません。クオリアとは、観察主体と観察対象、身体と世界、物理現象と意識現象、部分と全体が相互に関係し合う場において、そのつど立ち顕れる一人称的な質感であると考えられます。
ここで重要になるのが、ホロニカル心理学における「部分と全体の相互包摂」(ホロニカル関係)という考え方です。全体は、単に部分を集めたものではありません。部分には全体が映し込まれ、全体もまた部分を内包しています。部分は全体から切り離された孤立的要素ではなく、全体との関係において意味をもちます。同時に、全体もまた、部分の具体的な働きを通してのみ立ち顕れます。
この考え方をクオリアに適用すると、赤を見たときの「赤さ」は、視覚野の活動という物理現象だけに還元することはできません。しかし同時に、その赤さは、視覚野の活動をまったく離れた純粋な主観的出来事として成立しているわけでもありません。赤を見るという経験においては、網膜、視覚神経、視覚野、身体感覚、過去の記憶、言語的意味づけ、情動、環境世界との関係が、多層多次元的に統合されます。その統合された全体が、一人称的には「赤く見える感じ」として立ち顕れるのです。
したがって、ホロニカル心理学の立場からすれば、赤のクオリアとは、視覚野の活動に単純に対応するものではなく、視覚野の活動を含みながら、それを超えて、身体、世界、記憶、意味、観察主体のあり方が相互包摂的に統合されることによって生じる質感であると考えられます。物理現象としての視覚野の活動には、意識現象としての赤の質感が全体的に関与しており、同時に、赤という意識の質感のなかには、視覚野を含む身体的・物理的過程が包摂されています。
この意味で、クオリアは「脳の中にあるもの」でも「意識の中だけにあるもの」でもありません。むしろ、脳を含む身体と、身体が出あう世界と、その世界を経験する観察主体との関係性のなかで立ち顕れる現象です。赤さ、切なさ、美しさといった質感は、外界の対象に客観的に貼りついている性質でもなく、主観が勝手につくり出した幻想でもありません。それは、自己と世界が出あう場において、物理的過程と意識的経験が相互に包摂されながら生成する、関係的な現象であると言えます。
この視点は、統合情報理論とも一定の親和性をもちます。統合情報理論は、意識を単なる情報量ではなく、分割不可能な統合された情報構造として捉えます。そこでは、意識は個々の要素の単純な総和ではなく、システム全体としての因果的統合によって成立すると考えられます。ホロニカル心理学もまた、部分の集合が全体なのではなく、部分と全体が相互包摂的に関係するところに、経験の質が立ち顕れると考えます。
ただし、ホロニカル心理学は、クオリアを脳内情報の統合だけに限定して理解しません。クオリアは、神経活動の統合に関係しながらも、それだけではなく、観察主体と観察対象、自己と世界、身体と環境、内的世界と外的世界の相互作用において成立するものです。したがって、クオリアとは、脳内の情報構造であると同時に、世界との出あいにおいて生成される“こころ”の現象でもあります。
このように考えると、クオリアの問題は、単に「脳がどのように主観的感覚を生み出すのか」という問いにとどまりません。むしろ、「自己と世界の出あいにおいて、物理現象と意識現象がどのように相互包摂され、一人称的な質感として立ち顕れるのか」という問いへと深められます。
ホロニカル心理学におけるクオリア論は、この問いを探究するための新たな視座を提供します。それは、意識を物理に還元する立場でも、物理を意識に還元する立場でもありません。意識現象と物理現象を、相互に切り離せない非二元論的な関係として捉え、その関係の場において質感が生成されると考える立場です。