
地縁や血縁の有無にかかわらず、SNSで結びつくコミュニティを含め、人間にとって共通して大切なものは何でしょうか。
それは、自己と世界との関係が、お互いに包み包まれるような絆によって確かにつながっているという感覚ではないでしょうか。その感覚を失った無縁社会において、人は単に孤立するだけではなく、存在として生きる意味そのものを見失ってしまう可能性があります。
生きがいとは、自分の存在が他者の中に位置づけられ、また他者のまなざしの中に自分自身を発見できることではないでしょうか。それは地縁・血縁が色濃く残る時代であっても、それらが希薄化した現代社会であっても、本質的には変わらない人間の営みであるように思われます。
思想や哲学、宗教などの特定の価値観を共有することだけがコミュニティを形成するのではありません。むしろ、異なる思いや価値観をもった個性ある人々が共存し、お互いの存在価値を実感し、自覚できる場こそが重要なのではないでしょうか。
そこには一様な価値ではなく、多様なものがもつ総合的な価値が生まれます。それぞれに違いがあるからこそ、新たな出会いが生まれ、新たな価値を創造する働きが生じるのです。Aという文化、Bという文化、Cという文化が出会い、ときにせめぎ合うような「カオスの縁」においてこそ、新たな創造が起こるのではないでしょうか。
現代社会の課題とは、多様性そのものではなく、多様な存在がお互いの中に存在の価値を見いだし合うことの難しさにあるのかもしれません。そして今日、世界各地で生じている対立の背景には、一元的な思想や価値観、あるいは宗教によって世界を統一的に支配しようとする動きに対し、私たちが十分に応答できていないという問題も含まれているのではないでしょうか。
その場合に大切なのは、価値の異なる人々が出会ったとき、すべてが一つの価値へ統合されることではありません。異なる者同士が出会う中で、それらをつなぐ新たな関係性が創発し、その関係性自体も絶えず変化し続けていくことが重要なのです。
もし統合の原理が固定化され、唯一の正しさとして機能し始めるならば、それは多様性を包み込むどころか、多様な存在を排除する原理へと変質してしまいます。
ホロニカル心理学の立場からすれば、生命とは本来、多様性を生み出し続ける働きそのものです。そして、多様なものがそれぞれ固有性を保ちながら全体を形成し、全体がまた個々を包み込み支える関係にあります。
これこそが、多様性を生み出す源泉であり、多様なものが全体でありながら、全体がまた多様なものの中に顕れるという関係、すなわち「一即多・多即一」のホロニカルな世界観なのです。