経験的世界と経験的世界を超えた世界

私たちは、経験的世界が実在する世界だと思いがちですが、むしろ、自分の経験をはるか超えた世界の内に生きているのが現実だと思われます。

もし自分が経験している世界だけが実在すると思い込んでしまうと、私が経験していない世界は存在しないという不安に陥ることになります。

「イナイイナイ(バア)」をしたら、相手はあたかももうこの世には、いなくなってしまったかのような不安に陥る赤ん坊のような心理状態に陥るわけです。

私たちとっては、他者は、私の視界から消えても、どこかこの世に存在するという感覚が、今・ここにおいて経験していなくても認識され対象化して獲得されることが大切になっているわけです。

この感覚は世界に対しても同じです。私が経験している限り、世界が存在するとなると、私が経験できない世界はないことになります。しかしこうした世界の感覚は、自己と世界が融合的感覚になっているため、世界は常に私を中心に動いているという錯覚に陥りがちになります。

私たちは、私の経験や私の存在を超えた他者や私以外のすべてを包む世界の中に、世界内存在として生きているということを実感し自覚していくことが、適切な自己の発達課題となっているのです。

世界は、その実在性を証明することには限界がありますが、確実にあります。すくなくとも世界内存在として、世界が確かな手応えのあるものとして自己によって実感されているからです。そして世界から創造された世界の多様な顕れの一つである自己は、世界内存在としてその個性的自己を生き抜き、そして個体死によって、世界となり、また新たな事物を創りあげていく要素になると考えられるのです。

 

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