内我による直覚は、外我による知的理解よりは、より直接体験の生々しさに近いとはいえ、厳密には、自己と世界の不一致・一致の直接体験そのものではありません。
直接体験そのものの実感は、外我や内我など、個の意識の働きが無くなった瞬間の自己の自己自身による直接体験の直裁的な直観によります。自己と世界が、場において出会い、ある場所的な時空の出来事を創り出しだすものが直接体験といえます。場における出来事が、各々の自己にとって自己と世界の不一致・一致の各々の場所的な自己の物語を創りだしているのです。自己が直接体験を持ち、場所的自己の物語を創り出しているのではなく、直接体験が、ひとりひとりの場所的自己の物語として自己意識と意識の対象となる世界を創り出しているといえるのです。
自己と他者がある場所的感覚を共有できるのは、各々の自己が、同じ場に生きているからです。場との接点を失った場抜きの自己は、他者や世界との一致によるつながりも喪失するといえるのです。