すべての顕れは、“こころ”の働きによります。自己も“こころ”の顕れです。しかし“こころ”の顕れである自己は、自己の一部である我が“こころ”を持つと錯誤し、“こころ”そのものを見失ってしまいます。
“こころ”を取り戻すためには、「我」を忘れ、無心になることです。それが、“こころ”です。
“こころ”そのものは、我によって知られるものではなく、我の意識を生み出しているものです。我の意識を生み出すものそのものを了知するためには、我の意識を「無」とすることが必要になるのです。
東洋は、我を無とする「無我」の修行の智慧を積み上げてきたといえます。
この点、我の意識を重視する西洋との歴史的差異があると思われます。