自己と世界の一致のホロニカル体験は、我(現実主体)が世界と一体となろうとしても得られません。といって、世界が我の中に入ってくるイメージを我が試みても得られません。むしろ我を忘れた瞬間に、世界から自己に向かって自己と世界が一致するホロニカル体験がやってきます。
しかし、ホロニカル体験と自己違和的体験の中間領域に「イマージュ(夢言語)」が活性化する場合があります。こうしたときは、何かを判断したり識別することなく「ただ観察」的に「イマージュ」から一時も離れることなく「イマージュ」の変容にしたがっていくと、突如として自己と世界の一致のホロニカル体験の瞬間が訪れる場合があります。
「我を忘れる」立場は曹洞宗の道元の考え方に近く、「イマージュのただ観察」は、密教的立場に近い印象です。