競争から共創へ

主体感とか主体性というものは、に閉じた自己の底から湧き上がるようなものではないと考えられます。主体感や主体性は、その瞬間その瞬間、自己が生きる場から自己の底を通じて湧き上がってくるものと思われるのです。自己が生きている場において、場によって動かされ触発されるという形で主体感や主体性が創発されると考えれるのです。

自己の存在を、場(世界)から閉じた存在と考えるパラダイムにおいては、主体感、主体性は個人の資質の有無という意味づけがされます。しかしホロニカル心理学のように自己という存在そのものが場から創造されたとするパラダイムにおいては、場の働きが自己に映され取り込まれる形で主体感や主体性が生まれると考えます。各々の自己は場の働きをそれぞれの自己を通して個性的に表現する存在と考えるわけです。個人の思惟的意思は、場に無関係にはありえず、場の絶対的意志を映し取り込むところに創発されると考えているのです。

何事につけ、すべての行為と判断を自己責任に帰する社会の場は、問題を抱える人を指導したり治療する人の力量の個人的責任も自己再帰的に問われるといえます。しかし何事につけ、すべての行為と判断を自己責任に帰さず、共創的に問題解決を図ろうとする社会の場にあっては、生きづらさを共有し、共に悩み共に考え共に問題解決するという場の働きをそれぞれの自己が内在化し、支援者も被支援者も共に変化する中で問題解決を図ろうとします。

場がいかなる働きをもつか、いかなる場をつくるかが、場に生きるそれぞれの自己に大きな影響を与えると考えられるのです。