直接体験(24):生きる手がかりとする

自分を信じるというよりも、自己と世界不一致・一致の触れあいの直接体験自己照合の手がかりとする生き方が大切と思われます。自分を信じてしまうと、人からみると、自己以外との触れあいなき、ひとりよがりな独我論に固執しているように見える場合があります。

直接体験とは、自己と世界の触れあいのありがままの出来事のことです。主体が、直接体験から何かを識別した途端、それは、直接体験そのものではなく、直接体験を対象化した認識されたものとなります。直接体験は言語前であり、認識前の実在世界のことです。真理や智慧や哲学や科学的原理などを産み出す源泉といえます。直接体験そのものは、かけがえのない一瞬・一瞬です。直接体験は、非連続的連続に展開しています。直接体験の一瞬に、過去のすべてが包含され、これから開かれる未来が包含されています。

いま・この一瞬・一瞬の直接体験が「在る」ものです。直接体験を写し取って認識したものは、直接体験の虚像です。自己意識に映しとったものといえます。認識され対象化された世界とは、主体によって再構成された世界といえるのです。観察している主体が見ている世界は、自己が触れている生々しい直接体験そのものではないといえるのです。そこには見ている人の気分や認識の枠組みの差異(ホロニカル主体:理)によって異なる世界が展開しているといえるのです。

実在する世界とは、一瞬・一瞬の非連続的連続の変化する無常の出来事の世界といえるのです。瞬間・瞬間に変化するとは、一瞬たりとも、同じということはないといえるのです。