“こころ”とは(61):“こころ”=場=絶対無(空)

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ホロニカル心理学は、“こころ”とは一切合切の現象世界を創りだし、それを包む場(フィールド)と考えています。そして、一切合切を創りだし、一切合切を包む究極の場とは、絶対無(空)と考えます。“こころ”=場=絶対無(空)です。

絶対無(空)は何もない虚無という意味ではありません。むしろその逆で、「物」や「心」の現象など、一切合切の森羅万象は、“こころ”=場=絶対無(空)の働きによると考えます。自己が“こころ”の働きを実感できなくなり、もともとの産みの親である絶対無自身になるのが自己にとっては死です。しかし生きている自己にとっては、森羅万象からなる場所が世界です。絶対無(空)が、自己にとって森羅万象(物理現象及び精神現象)からなる場所とする世界という絶対有の時空を創りだしていると考えられるのです。“こころ”==絶対無(空)の働きによって、重々無尽の顕在世界が立ち顕れていると考えられるのです。

自己にとって森羅万象からなる世界は、究極的には無常の世界といえるのです。すべてが諸行無常・無自性の移りゆく世界といえるのです。

“こころ”=場=絶対無(空)と考えるホロニカル心理学にとっては、自己にとっては、対立し相矛盾する心と身体も、“こころ”=場=絶対無(空)の働きによって創られた対立(苦悩)と考えられます。しかし、対立・苦悩も、身心一如の“こころ”=場=絶対無(空)の働きともいえるのです。苦と楽に翻弄される生死の世界に生きる自己にとっては、苦楽を避けることはできないといえるのです。しかし、生死のこの世に生きる自己にとっては。世界は地獄でもあり極楽でもあるのです。

しかしこうした“こころ”の働きは、究極的には言葉で持って説明不可能なため実感・自覚するしかないといえます。