“こころ”とは(67):命の働きそのもの

命があって“こころ”があるのではなく、“こころ”の働きが、そのまま命の営みといえます。

我があって“こころ”があるのではなく、“こころ”があって我の意識があるのです。

生死の世界がそのまま“こころ”の世界であり、儚い我の命の住処が“こころ”の世界といえます。

“こころ”は、我の想像、空想や思惟によってつくられたものなのではなく、我にとっては生死の苦悩を避けることができない厳しい現実世界でもあるのです。

苦悩ばかりで、汚辱まみれの世界が、“こころ”の世界であり、そのまま命の世界なのです。そんな“こころ”の世界に翻弄され、罪深く、悪徳にまみれ、無知蒙昧に我は苦悩するのです。しかし、そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)の住まう“こころ”の闇も含めて、そのまま“こころ”の世界であると覚醒する瞬間、“こころ”の智慧の光明の働きに我がそのまま荘厳され、苦悩する我がそのまま“こころ”によって包摂され、我は救われるのです。