愛着障害:保護者の抱える未処理のままの外傷体験

保護者が過去に受傷した外傷体験を未処理のまま抱えていると、自分の子どものある言動に対して過剰に反応(過警戒・強い不安や恐怖)してしまうことがあります。もし保護者が過剰に反応してしまうと、保護者を安全基地にしようとしていた子どもは混乱します。すると、混乱する子どもによって保護者もさらに混乱し、気分が高ぶり、ついに過去に受傷した外傷体験と同じようなパターンを子どもとの間で再演してしまいます。

保護者にとっては、子どもの想定外の言動が、過去の外傷体験を神経生理学的に活性化させる引き金になってしまうのです。神経生理学的なスイッチ・オンは、より原始的で動物的な反応を誘発します。目を剥いたり、耳を塞いだり、声や息が荒くなったり、身体が固まったりなど、目をそらす等々は、神経生理学な反射的反応といえます。

それ故、愛着関係の修復を図ろうとする支援者は、パターナリズムな指導助言によって保護者に適切な子どもへの対応を求める前に、保護者自身が抱えている未処理の外傷体験の統合化を支える姿勢が必要になります。現実的には、保護者の抱えている外傷体験の統合化と、子どもとの愛着関係の修復を同時に促進していくという支援目標をもつことが必要になります。

内的世界と外的世界を共に扱う心理社会的統合的であるホロニカル・アプローチでは、新たな愛着関係の形成を可能とする支援の場では、保護者と子どもの愛着関係の悪循環パターンそのものを無批判・無評価・無解釈の態度によって慈悲深く包み込むような適切な保護的容器の役割を担うことが大切と考えています。子どもに愛情をやさしいまなざしで注ぐように保護者に注意・喚起するのではなく、子どもと保護者をセットにして適切な保護的容器のようになって包み込むことが重要と考えているのです。

また、適切な保護的器の意味をもった支援の場とは、子どもと保護者が一緒に暮らす家庭ばかりではなく、子どもと保護者が共に信頼できる里親や児童福祉施設などを含んでいることが大切です。事例によっては、子どもと保護者が一緒に暮らすことが、かえってお互いを傷つけるばかりになるときもあるからです。こうした場合にあっては、保護者に代わる子どもの代理的な養育者を探して、まずは子どもの適切な発達を保障した上で、はじめて子どもと保護者の適切な愛着関係の再形成に務めることが可能になります。

子どもを虐待から守るために保護者の親権を停止したり剥奪する必要のあるほどの事例はごく稀です。しかし多くの人は、死亡事例など一部の重篤で深刻な虐待事例の空想的想像から、不適切な養育をする保護者に対して極悪人でもあるかのような保護者イメージを抱きだしています。その結果、虐待を受けている子どもを発見すると、すぐにでも子どもを家族から引き離して保護し、保護者と子どもを分離をする必要があるのではないかと期待するようになってきています。特に地縁・血縁による社会的紐帯が薄まっていく地域社会ほど、子どもの家庭から分離しての保護を前提とした虐待通告が、警察、福祉事務所や児童相談所に指数関数的に増加しているのが実態です。しかしこうした動向では、子育ては監視の眼にさらされるばかりです。また、地域社会もまた少しでも問題を抱えた子どもと家庭を知らずのうちに地域社会から排除していく意識を高めていくばかりと思われます。

弱体家族を支える力も受け皿もなき地域社会の実態は、子ども虐待に関係する児童福祉現場を野戦病院化させるばかりになっています。

こうした悪化一方の動向を俯瞰するとき、これからは新たな社会的絆に基づく縁起的包摂社会を創り上げていく必要があると痛感します。そしてその中心に「新たな子遣り文化の創生」が必要に思われます。