エビデンスと権威

カウンセリングや心理療法に、物理学や医学と同じようなエビデンスを求めすぎてしまうと、特定の単一の学派や流派による理論や技法だけを権威主義化させてしまうことを否定できません。心的現象を扱うときの観察可能なデーターの統一の難しさがあり、そもそもデーターが他の支援者によっても再現することも困難です。心理社会的現象は、物理現象と異なり、とても移ろい易く検証可能性が難しい領域です。多様な理論や技法は、カウンセリングや心理療法という概念でひとくくりにされるとはいえ、異なる理論は心的現象に対する捉え方や支援の目的すら異なることが多く、異なる宗教や異なる思想のいずれが優れているかと論じるほどの比較困難性が伴います。結局、今や400以上もあるとされる心理療法の効果について、科学的な実証による比較検討を単一理論ごとに比較検討することには、かなりの無理があると云わざるを得ないのです。たとえ、単一理論と技法を学ぶ者の間においても、習得程度に結構なばらつきがあるのも実態です。こうして、現実には、比較可能な理論や技法は、その手続きが明確で、誰が行っても同じような結果が出るとされる理論や技法の間でしか比較ができないことになります。その結果は、理論と技法のアルゴリズムが一貫したものだけが、エビデンスがあるとされ権威を帯びる結果になっているのが実態です。

しかしながら実践現場での実態からすれば、多くの支援者が、支援現場の実態や被支援者ひとりひとりにあった支援を追求する中で、いろいろな理論を折衷したり、多元主義的に活用したり、同化的統合を図ったり、あるいは独自の統合的アプローチを探究している人などがほとんどです。しかしこうした多くの実践は、そもそもエビデンス議論の対象から弾き出されているのです。

こうした実態を前にしたとき、既知の理論や技法を参考にしつつも、心理社会的支援の複雑な実践現場において、もっとも有効な支援を実践している多くの支援者のエビデンスをいかに明かにしていくのか、これからの課題といえます。