自己決定とは:適切な自己照合枠をもつことの大切さ

自己決定するとき何を基準にするかによって、行為の意味づけや行為の結果も大きく異なってきます。

社会的な憲法・規範など、外的世界に存在するホロニカル主体(理)を参照枠とするのか、それとも外我が内在化しているホロニカル主体(理)を参照枠とするのか、それとも内我の内的欲求を参照枠とするのかといったように、それぞれ異なるものを参照枠とすることができます。

ホロニカル心理学では、適切な照合枠とは、自己と世界の出あいの直接体験と考えています。自己と世界の出あい不一致と一致の繰り返しにあって、両者がより一致する方向を自己組織化することを可能とするような感覚は直接体験に従う時に得られると考えています。

世界は自己に働きかけ、自己の動きに制限と影響を与えてきます。しかしその反対に、自己もまた世界に働きかけ、世界に変化を与えようとします。自己は世界にまったく関係なく、自己自身の意志によって何でも自由に意志決定しているわけではありません。自由意志とは、自己と世界の相互限定の関係の中での自己決定といえます。

自己と世界の相互限定とは、直接体験と一致する方向に自己を自己組織化する限りにおいて自由意志が働くといえます。どちらの方向に向かって歩くかは、そのときの環境の制限と自己のその時に与えられた能力によって限定され、その制限された範囲での選択の自由が自由意志による決定といえます。

歩くことに関して自由意志との関係を考えてみます。道路を歩いていて、機械も道具もなく空に向かって飛ぶことはできません。見知らぬ人の家に、無断で入ることも許されません。しかし、公園を通過するとき、家路に帰るときには、ただの通り道です。それゆえ、家路を急ぐ気持ちから離れ、公園に咲く花に近寄って匂いを嗅ぐことも、足を止めて小さなな森に棲む鳥のさえずりに耳を傾けることも、地面を這いつくばっている蟻に目をやることも、いずれの選択も自由といえます。

行為の選択とは、外的世界によって完全に決定されているわけでもなく、内的世界の動機だけによって決定されているわけでもないのです。むしろ自己と世界の出あいの不一致・一致の一瞬・一瞬に時々刻々決まっていっていると考えられるのです。