東洋思想と西洋思想

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東洋思想と西洋思想は、それぞれの風土や歴史的文化的背景が異なり、簡単に統合できるものではありません。自然観、世界観、人生観が異なるだけでなく、あらゆる現象の捉え方も根本的に異なります。それは心的現象に対する捉え方の差異にも現れます。

小坂国継が「西洋の哲学・東洋の思想」(2008年)で指摘したように、東洋思想は心的現象を「無の思想」によって、無が、「一切の根源であり、すべての事物を生み出す能動的な働き」として直感的に理解しようとします。一方で、西洋は心的現象を「有の思想」によって、「有るもの」を意識化しようとします。

ここには、「無」を「有」の欠如として否定的・消極的に捉える西洋と、肯定的に捉え直す東洋との心的現象に対する捉え方の違いがあります。こうした差異を前にして、どちらの立場が正しいか、あるいはより真実に近いかを競うことは、お互いの判断基準自体が異なるため、不毛な論争に陥ります。むしろ、実践的には、相互補完的に他方の思想を同化・吸収し合う関係を構築する中で、相互刺激的にそれぞれの思想を発展させることが重要と考えます。

いずれの思想がより一般的かつ普遍的であるかではなく、それぞれの文化の中で根源的な特殊性を維持しながらも、特殊性の中に包摂されている一般性をそれぞれの思想で探求していく中で、両者に通底する理が発見されると考えられるのです。AとBの出会いの中で、Bに刺激されたAがA‘となり、BがAに刺激されてB’になる方向に、A‘とB’の変容を媒介するX‘が変容の場で発見されると考えられます。

この場合、究極的には同じXに向かっていくと考えられますが、Xについて語るとき、それぞれの文化に固有なホロニカル主体(理)の影響をなかなか排除できません。そこで大切なのは、それぞれの文化が内在化しているホロニカル主体(理)の影響をありのままに俯瞰できる観察主体を形成することです。

無批判・無評価・無解釈の立場からの俯瞰が、特殊に包摂されている一般性、一般性に包摂されている特殊性とのホロニカル関係への気づきを可能にします。俯瞰する主体が何らかの批判・評価・解釈をする瞬間、その判断基準にそれぞれの歴史的社会的な言語体系によって培われた理(ホロニカル主体)の影響を排除できなくなってしまいます。

高度情報化社会の加速度的浸透は、今後、東洋思想と西洋思想の異文化交流を地球規模で促進すると考えられます。こうした変動は、それぞれの民族の固有性や東洋と西洋の根底的なパラダイムをこれまで以上に揺さぶることになるでしょう。さらに、こうした社会的変動はホロニカル心理学の立場からすると、適切な自己意識の発達の危機として顕在化すると予測されます。具体的には、自己意識の発達が第4段階から第5段階に移行できる人と、できない人との間に混乱が生じる形で現れるでしょう。既知のホロニカル主体(理)を内在化した他律的現実主体を確立した者同士が主流の社会集団で適応していた人でも、まったく異なるホロニカル主体(理)を持つ人との交流は、それまでの既知のホロニカル主体(理)を揺さぶることになります。それは自己の存在の根底から揺さぶられる一種の心的危機体験となるのです。

こうした心理的危機に際しては、お互いが共生可能な新しいホロニカル主体(理)を創発するか、共有可能なホロニカル主体(理)の探究を放棄するか、相手を自分に統合するかしか選択肢がなくなります。ホロニカル心理学では、共生可能な新しいホロニカル主体(理)を創発することが大切と考えています。ただし、そのためには異文化交流の中で、既知のホロニカル主体(理)が普遍的なものではないことを実感・自覚し、お互いの特殊性の中に含まれる一般性を探求し続ける必要があります。そのためには、異なるホロニカル主体を内在化した自己同士が、お互いの差異を無批判・無評価・無解釈の立場から共創的に俯瞰できるような共同研究的協働関係を築くことが前提条件となります。

差異を持つ者同士が不一致を契機に、より一致する方向へ共同研究的に協働関係を構築しようとする限り、差異の根底に両者に一般化可能な新しいホロニカル主体(理)を創発することが可能になると考えられます。

<参考文献>
小坂国継,西洋の哲学・東洋の思想.2008年.講談社.p16.