堂々めぐり(1):知的理解での変容の限界

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心理社会的支援の場面では、話し合っているうちに、いつのまにか堂々巡りになってしまうことがあります。

そのひとつは、ある解釈が頭ではよくわかっているのに、なぜか気持ちや行動が変わらない、という場合です。

たとえば、会社の上司を前にすると緊張して何も言えなくなってしまう人がいるとします。その人は、「これは子どものころ、厳しい父親に対して感じていた怖さを、上司に重ねているからなのだ」と、その原因を解釈し、理解できたとします。けれども、そうと知的にわかったとしても、実際に上司を前にすると、やはり怖くなり、身体が固まり、言葉が出てこなくなることがあります。

このようなとき、緊張の原因を理解すること自体は大切です。しかし、それだけでは十分ではありません。生きづらさの問題は、原因をうまく説明できるようになるだけでは、必ずしも変わるわけではないからです。

本当に大切なのは、その人のうちに実際に生じている「怖い」「身がすくむ」「言えなくなる」といった直接体験そのものに、少しずつ変化が生まれていくことです。

では、その変化はどのように生まれるのでしょうか。それは、自分がその体験にどのような態度で向き合うかによって生まれることもありますし、安心してその体験を抱えられる関係や場のなかで、少しずつ和らいでいくこともあります。

ホロニカル心理学では、問題を単に原因から説明するだけではなく、その人がいま・ここで生きている直接体験に目を向けます。そして、その体験がどのような場で、どのように支えられていくと、どのように被支援者自身の直接体験が変容していくのかといった生成プロセス自体に注目します。そこにこそ、支援の大切な手がかりがあると考えます。

たとえば、被支援者が支援者に対してすら、支援ので緊張感を隠しきれないでいるとき、支援者自身が被支援者の緊張のしやすさをあるがままに丁寧に言葉にすることが、変容の契機になる場合があります。

「どうも、上司に抱く恐怖心の背景に、子ども時代の父親との関係が影響していると理解しても、恐怖心そのものには、あまり変化が起きていないようですね」

このような支援者の指摘が、支援を受けながらも、なかなかよい変化が起きないこと自体にも緊張していた被支援者にとって、支援の場そのものがもつ安心感や安全感を体感する契機となり、それによって、意識化前の被支援者の直接体験そのものが変わりはじめたことを意味するからです。