ひょっとすると投影的同一視が増加しているのでは?

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心理社会的支援の現場で長く人と関わっていると、「どうして、そこまで相手をそのように受け取ってしまうのだろう」と感じる場面に、何度も出あいます。

もちろん、そこには一人ひとり異なる事情があります。しかし、関係を丁寧に見つめ続けていると、必ずしも相手そのものを見ているのではなく、自分自身の内側で密かに思っていることを、いつの間にか「相手がそう思っている」「相手がそう感じている」と受け止め、さらにはそれを事実として決め込んでしまっていることが少なくありません。精神分析が「投影」と概念化した心的機制の一つです。

投影とは、自分の中に生じている怒りや嫉妬、劣等感、あるいは欲求など、自分自身では受け止めることが難しい感情や衝動を、自分の内側で抱えながら生きるのではなく、「相手の側にあるもの」として体験してしまう心的機制です。

精神分析では古くから防衛機制の一つとして理解されてきました。しかし、ホロニカル心理学では、それを単なる個人的な自己防衛としてだけではなく、自己と他者との境界が一時的に揺らぎ、自己と世界との関係の「」そのものが少し歪むことによって生じる関係的な現象として捉え直そうとしています。

例えば、自分の中には相手への苛立ちがあるにもかかわらず、「あの人は私を嫌っている」と強く感じてしまうことがあります。あるいは、自分の中にある劣等感が、「あの人は私を見下している」という確信へと変わってしまうこともあります。最初は自分の内的世界で生じていた出来事だったはずなのに、その思い込みに基づいて相手へ執拗に接し続けると、相手もその圧力に反応し、本当に怒ったり、距離を置いたりすることがあります。そうなると、「やはり私が感じていた通りだった」という確信は、ますます強くなってしまいます。

こうして、自分の内側で始まった体験が、関係の中で現実の出来事として形をとってしまうことがあります。これが、投影的同一視と呼ばれている現象です。

逆の方向へ働くこともあります。自分が心の中で抱いている理想化された異性像を相手に重ね、そのイメージの中で相手との関係を受け止め続けると、「相手は自分に特別な好意を抱いている」と確信してしまうことがあります。

もちろん、人が人に惹かれること自体は、ごく自然なことです。しかし、その体験が現実との往復を失い、自分の内側だけで閉じてしまうと、関係は少しずつ現実から離れ、対人トラブルへと発展してしまうことがあります。

では、どうすれば私たちは、もう一度現実へと立ち戻ることができるのでしょうか。私自身、その答えは決して簡単ではないと思っています。ただ、一つだけ大切だと思うことがあります。

「今、自分が体験していることは、自分の内的世界で生まれている可能性もあるのではないか」「相手は、本当に私が思っているように感じているのだろうか」と、一度立ち止まって問い直してみることです。

しかし、この作業は、当の本人にとって決して楽なものではありません。自分が見たくなかった感情や傷つきと向き合うことでもありますし、自分の思い通りにはならない他者の存在を受け入れることでもあります。そのため、ときには大きな痛みを伴います。それでも、その苦しさを少しずつ抱えられるようになると、人の自己の器は少しずつ広がっていくように思います。

そして、一人だけに過度に依存するのではなく、多くの人と、それぞれに応じたほどよい距離で関わることができるようになっていきます。一つの出来事を、自分の基準だけで意味づけるのではなく、「別の見方もあるかもしれない」と受け止められるようになる。その小さな変化の積み重ねが、長い目で見れば、人との関係そのものを大きく変えていくのではないでしょうか。

もちろん、一人だけでそこへ向かうことが難しい場合もあります。そのようなときには、信頼できる伴走者や専門家とともに歩んでいくことが必要になることもあるでしょう。私が現場で以前より気になっているのは、このような投影的同一視による関係の混乱が、幼児期には発達上ある程度みられる現象であるとしても、児童期や思春期、さらには大人の世界でも、以前より目立つようになってきているのではないかということです。こうした感覚は、あくまで私自身が心理社会的支援の現場で感じ続けてきた経験的な実感にすぎません。それでも、自他の関係を柔軟に調整する力が、以前より育ちにくくなっているのではないかと思う場面は少なくありません。その結果、人とのほどよい距離を保つことが難しくなり、「いつも自分を分かってくれる一人」を強く求める傾向も強まっているように感じます。そのような関係では、投影的同一視も起こりやすくなるのではないでしょうか。

さらに、SNSの普及も無関係ではないように思います。自分の見たい情報だけを選び、自分と似た考え方ばかりに囲まれて生活していると、自分とは異なる肉体をもった他者と出あい、その違いを受け止めながら関係を築いていく経験は、以前より少なくなっているように感じられるのです。

もし、そのような社会の変化が、人と人との関係のあり方に少しずつ影響しているのだとすれば、投影的同一視は、特定の個人だけの問題ではなく、私たちの社会全体が向き合うべき「関係」の課題として考えていく必要があるのではないでしょうか。