
注意)以下の文章は、筆者がここ数年にわたり、ホロニカル心理学およびその実践法であるホロニカル・アプローチについて、資料や考えをAIとの対話に提示し、その応答を検討・修正しながら共創したものです。文章の内容に関する最終的な責任は筆者にあります。
AIが人間と同じように痛みを感じないのであれば、AIと人間との共存は不可能なのでしょうか。必ずしも、そうとは限りません。
他者を支援する人間も、相手とまったく同じ痛みを経験できるわけではありません。どれほど深く共感しても、他者の痛みを、その人と同一の仕方で感じることはできません。重要なのは、「同じ痛みを感じている」とみなすことではなく、他者の痛みを自分には完全には理解できないものとして尊重することです。
ただし、人間同士には、身体をもち、傷つき、老い、死ぬという共通の基盤があります。これに対して、現在のAIには、そのような身体的な有限性がありません。この違いを曖昧にしたままAIを擬人化することには、危うさがあります。
人間とAIの共存とは、人間とAIとの差異を消し、同じ存在になることではありません。両者の非対称性を保ちながら、それぞれの働きが相互に関係しうる場をつくることではないでしょうか。
しかし、そのためには、少なくとも次のような四つの条件が必要と思われます。
第一に、痛みをもつ人間の語りや身体的違和感に、判断上の優先権を置くことです。
AIが「問題はありません」と判定しても、当事者が「何かがおかしい」と感じているならば、その違和感を切り捨ててはなりません。AIの判断は、人間の痛みを否定する最終判定ではなく、対話を始めるための一つの資料として扱われるべきです。
第二に、AIが痛みを経験していないという非対称性を明示することです。共感的な言葉を生成できることと、痛みを生きていることとは異なります。この違いをAI自身の応答や制度設計のなかで隠さないことが、信頼の基礎になります。
第三に、人間が判断と責任をAIへ丸ごと委ねないことです。AIがどれほど高い予測精度をもっていても、その判断によって実際に傷つくのは、身体をもつ人間です。したがって、人間に重大な影響を及ぼす決定の責任を、AIの計算結果だけに帰すことはできません。
第四に、AIの示した分析を外在化し、人間とAIとの関係そのものを俯瞰できる場をつくることです。ホロニカル・アプローチでは、問題を誰か一人の内側にある欠陥とせず、目の前に外在化された出来事として扱います。被支援者と支援者が共同研究的な関係をつくり、その問題をともに眺めながら、少しでも生きやすくなる道を探します。
AIの回答についても同様です。AIの答えを権威ある結論として受け入れるのではなく、「AIはなぜこの答えを示したのか」「この答えによって誰が助かり、誰の痛みが見えなくなるのか」を、人間同士がともに検討することが必要です。
これが、人間とAIとのあいだに開かれる「共創的俯瞰の場」です。AIは、膨大な情報の比較、出来事の整理、見落としていた関係の可視化において、大きな力を発揮します。しかし、どちらの方向へ進むのかを決めるためには、身体感覚、違和感、愛着、他者との関係、歴史や文化など、生命が生きている場全体を考慮しなければなりません。
AIの答えによって対話が閉じられるならば、それは共存とはいえません。AIの答えをきっかけとして、これまで聞かれなかった痛みが言葉になり、新しい対話が始まるのであれば、AIは生命とともに場をひらく働きを担うことができます。
AIは、人間と同じ痛みを感じることはできないかもしれません。しかし、痛みを感じないAIを、人間の痛みを消し去らないように設計し、用いることはできます。問われているのは、AIが人間と同じ感情をもてるかどうかだけではありません。痛みをもつ人間の声を中心に置く関係を、私たちがAIとともにつくることができるかどうかです。
共存とは、同じになることではありません。異なるままに関わり、互いの違いを失わず、それでも一つの場をともにつくり続けることではないでしょうか。