宗教的体験の源泉

もし、我(現実主体)が無我となって、自己と世界が一体化したならば、自己と世界の絶対無:空)における根源的一の関係に目覚め救われます。自己も世界も、元々場(絶対無:空)から創造された万物であり、同じ場を故郷とする一の関係にあることへの気づきです。

自己が、生老病死を回避することができぬ現実に直面する時にも、自己超越的な場(絶対無:空)の働きに身を委ね、自己や世界を創造した根源に目覚めるところから宗教心が起きるといえます。

絶対無(空)に身を委ねるといっても、自己と世界の不一致に対して何もしないという意味ではありません。自己は自己と世界の不一致に対して、自己と世界が一致する方向に向かって適切な自己の自己組織化を促進しようとすると共に、自己と世界の一致を求めて世界を変容させようとします。しかしそうした自助努力の上でもなんともならない時があります。そうした時は、生きる手がかりを自己と世界の出あいそのものを創りだしている場(絶対無:空)に求めることが、身を委ねるという意味です。そのために普段の「我の意識」の働きを自己否定して無我となって、自然のはからいに自己自身を委ねる態度が大切になるのです。

技術革新が加速度的に進む現代社会においても、自己と世界が立ち顕れてくる場(絶対無:空)との自己との関係は、信仰の有無に関係なく、常に最大の人生のテーマといえるのです。