“ほどよさ”や“心地よさ”の体得

適切なアタッチメント体験を内在化していない人は、対人関係における触覚的な“ほどよさ”や“心地よさ”が体感されにくい傾向にあります。そのため対人関係は触覚的というより視覚的なものに頼りがちになりがちです。

すなわち視覚的に見る者と見られる者という関係の中で、相手は自分にとって危険であるかそれとも安全であるかを判断する傾向を強めます。そして安全と判断すれば対人関係が、リラックスし過ぎて近くなりすぎてしまい、危険と判断すれば過緊張から遠くなり過ぎたりと、極端なものになりがちです。

アタッチメントで大切なことは、“心地よさ”を身体的自己が直感できることです。対象との関係で低緊張・低覚醒になりすぎず、といって過緊張・過覚醒になりすぎず、安全で安心できる“ほどよい距離”を保てることです。

適切な心理・社会的支援においては、対話の内容ばかりでなく、“ほどよい距離”“心地よい気持ち”が支援者と支援者の間で形成されているものです。“ラポート”とか言われる被支援者と支援者の信頼関係も、こうした身体的共鳴性や共振関係の成立が前提となります。

身体的な共鳴・共振が被支援者と支援者の関係の中で成立してくることによって、両者の間の不調和を、両者の調律的な波長合わせによって、“ほどよいところ”や“心地よいところ”といった落としどころを発見・創造することが可能になってくるのです。

被支援者も支援者も、気分ごとに様々な自己照合システムを形成し、それらが複雑なネットワークを形成しています。自己照合システムは神経生物学的なシステムであり、半ば自動的に作動します。対人関係の不調とは、両者の自己照合システム同士の不協和関係が続くことです。しかし、不協和が続いたとしても、被支援者と支援者が気分合わせを通じて、自己照合システムを新たなシステムへと調律しなおしていくと、いずれ両者の波長が合致するという瞬間が訪れます。共感が布置した瞬間といえます。

アタッチメントとか愛着というと、短絡的に抱っこすることと誤解する人がいますが、抱っこすればいいというものではないとホロニカル心理学では考えます。人によっては、生まれながらにしてとても触れられることに過敏に反応する人もいれば、極端に鈍感な人もいます。またアタッチメントや愛着要求が一方的であれば、他方にとってはストレスになります。大切なポイントは、“ほどよさ”や“心地よさ”といった身体感覚の体得といえるのです。