“こころ”とは(20):物理現象と精神現象

“こころ”は、多層多次元な顕れ方をします。このとき、空間的な側面としては、物質的な多層多次元性が明らかになります。物質的側面の多層多次元な顕れ方とは、素粒子、原子、分子、細胞、器官、有機体といった多層多次元的なネットワークによる多面的側面のことです。“こころ”の現象の物質的側面は、顕微鏡に代表されるように観察する精密な道具さえ開発されればされるほど、そのメカニズムを実証的に確認していくことが可能です。しかし、空間的方向で明らかになるのは、観察対象となった物質の活動とそのメカニズム及びヒエラルキー的構造であっても、有機体としての自己(人格)が“こころ”をもって時間的歴史的に生きている「全体的一」の意味までは明かにはなりません。多層多次元にわたる“こころ”が自己を統合しながら時間的歴史的に統一しながら生きる精神的側面までは、物質的側面をいくら観察しても明らかにはならないといえます。

歴史的に形成される人格の意味は、まさに自己が「全体的一」の自己として生きる自己自身によって直観的に実感・自覚されてくる“こころ”の創造的な精神的側面といえます。

“こころ”とは、空間的方向においては、多層多次元にわたる「多なるもの」を生み出す働きとなって顕れるととともに、時間的歴史的方向においては、多層多次元にわたる多を統合する「一なる」働きとなって顕れるものといえるのです。

しかも、“こころ”の物質的側面と精神的側面は、二元論的に区別できるようなものではなく、物理的側面と精神的側面が相対立し、自己矛盾しながらも同時・同一にあるといえます。“こころ”の時間性(精神的な一の側面)が否定されると空間性(物質的な多の側面)が顕在化し、空間性(物質的多の側面)が否定されると時間性(精神的一の側面)が顕在化するといえるのです。

“こころ”は、多即一・一即多といえるのです。