自己の底

意識中心主義の西洋思考の影の面を誰よりも深く理解していたユングは自己の底について、次のように語ります。「始まりにおいては、すべてのものはまだ一つであるが、この始まりはまた究極の目標としても現われるものである。始めそれは、海の底、つまり無意識の暗黒の中に横たわっている。」(ユング,1931)。

しかし西洋思想と東洋思想の対立の狭間から誕生したホロニカル心理学では、自己の底は、“こころ”の源であり、意識による認識重視の西洋人であるユングからすると確かに意識生活を圧倒しかねない無意識の暗闇でありますが、東洋人、特に禅が歴史的な観照のすえ見出してきたように、意識的な我の働きが無となる瞬間、すべてが絶対無と絶対有、すなわち死と生が絶対矛盾的自己同一関係にある自然世界に帰還する領域でもあると考えられます。人に神秘的体験をもたらしてきた超個的世界は、自然世界を超えた別世界にあるのではなく、自然世界そのままが自己超越的世界といえるのです。

こうした自己超越的な働きは言葉で語ることはできません。しかし、我(現実主体)が無となれば、直観的に実感・自覚することは誰にでも可能な働きと考えられるのです。

参考文献
C・G・ユング&R・ヴィルヘルム(1931).黄金の華の秘密.訳,湯浅泰雄・定方昭夫.1980.人文書院.p57