知識と情緒

特殊で情緒的インパクトの強い経験は、理性的な知識によって理解されることで、はじめてより意義を持ちます。その逆に、理性的な知識は、情緒的に裏づけられることによって、はじめて意味を持ちます。

しかし、情緒的なものを非合理的として否定すると、無味乾燥な人生になります。合理的なものだけを重視しすぎると、知的な思考や認知の働きを担う外我優位の生き方になったとしても、身体性や気分など生き生きとした生命活動を直覚している内我との接点を失ってしまいます。

非合理的なものを制御するためではなく、非合理的なものを理解するために知性を活用することが大切と考えられるのです。

生きた智慧は、非合理的なものと合理的なものを統合しているといえます。